2014年1月21日火曜日

通信指令センター

 自主防災会のリーダー研修会が日曜日(1月19日)、いわき市消防本部で開かれた。平消防署管内のうち、平、中央台地区には自主防災会が100余りある。その役員である区長らが参加した。本部職員とNTT社員の講話のあと、参加者は隊員による応急担架づくり、救助訓練を見学した。
 
 119番を受け付ける通信指令センターも窓越しに見た=写真。壁面に地図その他の画面が大きく表示されている。江名港のライブ映像もある。テレビのドラマや、消防の24時間を追った番組では承知していても、ホンモノを見るのは初めてだ。
 
 “現場”には静かな緊張感が漂っていた。案内の職員が説明していると、119番がかかってきた。4人いるスタッフの1人がすばやく動いたが、すぐ切れた。幼児が受話器を取ってピッポッパとやったのかもしれない。
 
 平成7(1995)年1月17日早朝、阪神・淡路大震災が起きた。緊急支援・復旧支援のボランティアが数多く駆けつけた。それをきっかけに、閣議了解で翌年から1月15~21日が「防災とボランティア週間」と決まった。研修会はその一環だ。
 
 指令センターを見学しているうちに、救急車に二度、付き添いとして乗ったことを思い出した。
 
 一度は、それこそ阪神・淡路大震災の2日後だ(詳細は省く)。二度目は10年ほど前だったろうか。真夜中、いわき駅に近い飲み屋街(平・田町)の、とあるスナックにいたとき、自傷事故に遭遇した。店に顔を出した酔客が帰ったと思ったら、階段から踊り場まで転げ落ち、頭から血を流して倒れていた。ママさんと2人、救急車に同乗して病院まで付き添った。さいわい、いずれも軽傷ですんだ。
 
 平成24年版「いわきの消防」によると、東日本大震災が発生した23年3月の119番受信件数は3800件、4月は2076件だった。その前後、2月は1579件、5月は1607件だったから、3月は通常の2倍以上、119番がかかってきた。
 
 講話と指令センターの案内を担当した係長の手記をネットで読める。震災が発生した3月11日午後2時46分から13日までの様子はこうだった。発災直後は水道管破損、ブロック塀倒壊などのほか、目的外問い合わせが多かった。電話は鳴りっぱなしで、3時過ぎごろから救急・救助要請、火災通報が増え、通常は数秒で照会できる発信地照会に10秒以上かかった。電話回線の混乱、システムの不安定な状況が翌々日まで続いた。
 
 こうした非常事態、大混乱のなかで、軽症救急と思われる場合には「通報トリアージ」を実施して、自己対応、家族・隣保共助をお願いしたという。
 
 119番の回線は限られているのに、相変わらず問い合わせの電話が多い。すると、肝心の救急・火災通報がつながりにくくなる。大災害時には消防はあてにならない、隣保共助が大事――そのことを頭に刻みながらも、発災当時の消防の献身、119番の現実に触れて、また少しいわきの実体に迫ることができた思いがした。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

忘れている。
阪神大震災、東日本大震災と生命財産が奪われ深い傷を負ったというのに世の中、カネだカネだと浮かれているように見えます。

被災県以外は関係ないのかもしれない。

you tubeを見てみるとあの当時の恐ろしい現実を思い出させる。正直思い出したくないし、見たくもない過去が今そこにある。

傷はえぐられたままいまだふさがってはいない。

経済だカネだと騒いで現実をごまかそうとしている世の中を冷静に見なければならない。