2014年2月13日木曜日

阿武隈の冬の話

 暖かい冬がすぎたら、寒い春がきた。

 2月3日の節分の日に、夏井川渓谷の隠居(無量庵)へ出かけた。生ごみを堆肥わくに埋めるのが目的だった。1月下旬~2月上旬はいわきの厳寒期。渓谷の滝の凍結具合で寒さの程度がわかる。籠場の滝の直下、岩盤にはしぶき氷がほとんどなかった=写真。厳冬には全面にしぶき氷が張りつく。今年は暖冬だったと知る。その翌日、立春に雪が降り、週末には記録的な大雪になった。いわきも鉄道・高速道・一般道すべてで交通がマヒし、混乱した。

 祝日の11日午後、イトーヨーカドー平店にある交流スペース「ぶらっと」へ行くと、休日ボランティアのIさんがいた。仕事の関係で阿武隈高地の飯舘村からいわき市に避難している。大雪に刺激されて阿武隈の冬の話になった。私も同じ阿武隈で育ったので、ついついいわきの平地との比較になってしまうのだった。

 阿武隈は冬、会津ほどには雪は降らないが、かなり冷え込む。真冬は、毛布か何かで覆って寝ないと、寒気で顔が痛くなって目が覚めてしまう、とIさん。確かに、手ぬぐいでほっかぶりして寝る、という話を昔聞いたことがある。農家は造りが大きいから、夏は涼しい代わりに冬は寒い。囲炉裏で暖を取っても、暖かいのは前面だけ。綿入れ半天を着ないと背中が風邪を引く。6、7歳のころの体験だが、背中の寒さをきのうのことのように思い出すことができる。

 小さいころにはよく手に霜焼けができた。水の張った田んぼが凍ると、下駄スケートに興じた。裏山の坂道ではそり滑りを楽しんだ。後年、ブリューゲルの「雪中の狩人」に愛着を感じるようになったのは、絵の中の山里に小さかったころのわれわれの遊びが描かれていたからだ。Iさんの話を聞きながら、そんなことも思い出した。

 阿武隈の山里に比べたら、いわきの平地には冬がない。春・夏・秋、そしてそれより寒い秋――いわきに根を生やすようになった20代後半、いわきの四季についてはいつもそう感じていた。今はどっぷりいわきに浸かっているから、冬は「秋より寒い秋」どころか、凍えるくらいに寒い。雪道も、歩くのが怖くなった。

 そうだ、阿武隈の雪で忘れがたいことばがある。母方の祖父母の家(旧都路村の鎌倉岳東南麓にあった)へ遊びに行ったとき、猛吹雪に見舞われた。祖母はそれを「フギランプ」(フギランブだったかもしれない)といった。「フブキ」(吹雪)と意味は同じだろう。後年、「乱舞」ということばを知ったとき、「フギランプ」の「ランプ」は「乱舞」のことではないかと思ったものだが、いまだに語源はわからない。

 その阿武隈の今、である。大震災と原発事故とで、ブリューゲルの絵のような世界は失われた。福島第一原発の東の海から吹く風の背中に乗って、北へ、南へ、西へと春の雪が運ばれてくる。それが阿武隈の山々、里々を白く染める。銀世界を神々しく思う感受性はとっくに消えた。

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