2014年3月10日月曜日

3・9から3年

 きのう(3月9日)、1カ月ぶりに夏井川渓谷の隠居(無量庵)へ出かけた。雪は道にも、庭にもなかった。台所と風呂場の水道管も凍結・破損を免れていた。

 が、東側の庭木の太い枝が幹からはがれかかりながら倒れていた=写真。2月15日の暴風雨(雪)に傷めつけられたのだろう。西側のシダレザクラの下にも太い枝が折れて横たわっていた。立ったままの木を眺めている分にはそう思わないのに、折れて横たわると木は長い。重い。片づけきれないので1本はそのままにしておいた。

 3・11直前の日曜日である。ラジオ(NHK第一)は「のど自慢」のあと、「被災地川柳」を放送していた。3月に入って増えた「東日本大震災3年」の特番のひとつだろう。そういえば、この日、いわき市はアリオスで「3・11いわき追悼の祈りと復興の誓い2014」を開いた。

 3年前の3月9日は水曜日だった。生活リズムがずれて日曜日に休むことがなかなかできなくなった。そのため、ひとり、水曜日に息抜きを兼ねて隠居に来ていた。昼前、地震が発生した。そのときの様子を記したブログの一部を再掲する。
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 間もなく正午、というときに、家がカタカタいいはじめた。急に風が吹き始めたかと思うくらいに、揺れは外からやってきた。大地の底からグラッとくる感じではなかった。<地震かな>。軽い身震いのようなものがしばらく続いた。そのうち、全体が揺れ始めた。<やっぱり地震だ>。それでも急にグラグラとはこなかった。横揺れだった。長かった。

 こたつで本を読んでいた。真正面の対岸は岩盤の露出した急斜面だ。その林を凝視し続けた。前夜に雪が降ったらしい。モミや裸の木の枝が雪をかぶっていた。林床も雪化粧をしていた。急斜面だから、しょっちゅう落石がある。地震の影響(落石)がないものか。目前の山に神経を集中した。見た目では、「崩れ」はなかった。

 NHKラジオはすぐ特番に切り替わり、津波への警戒を伝え始めた。臨海の役場に電話を入れて状況を聞き始めた。

 <あれっ>と思った。「港に人はいませんか」。いたら注意してください――まるで命令しているようなアナウンサーの口調だ。有事になると、NHKはオカミになるわけだ。なるほど。
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 2011年3月9日午前11時45分、三陸沖でM(マグニチュード)7.2の地震が発生した。宮城県栗原市などでは震度5弱を記録した。2日後に起きる巨大地震の前震だとは、むろんわからなかった。後知恵でいえば、揺れ方は3・11の本震と重なる。カタカタ、最初は静かに……。NHKのアナウンスもあの程度では弱かったか、などと、今はこちらの認識の甘さを反省している。

 3・9から丸3年。なんの屈託もなく渓谷の風景を眺めていたのは、そのときが最後だった。私のなかでは幻の鳥だったマヒワが庭の近くの木々を群飛していた。写真に撮って喜んだ直後の地震だった。それから2日後に巨大地震が発生し、原発事故がおきる。

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