2014年3月11日火曜日

ノアはどこにいるのですか

 いわき市立草野心平記念文学館で「3・11といわきの詩人、歌人」展が開かれている。全国文学館協議会の共同展「3・11文学館からのメッセージ 天災地変と文学」の一環だ。

 いわきの詩人で震災当時、南相馬市の小高商業高校に勤めていた斎藤貢一(筆名・斎藤貢)さんの詩=写真、同じくいわきに住む歌人高木佳子さんの短歌が展示されている。斎藤さんの詩集『汝は、塵なれば』(2013年9月、思潮社刊)、高木さんの歌集『青雨記』(2012年7月、いりの舎刊)がテキストだ。

 先週の土曜日(3月8日)、文学館の事業懇談会が開かれた。会議の前に、副館長に教えられて、常設展示室と企画展示室の奥にあるアートパフォーマンススペースで、斎藤さんらの作品と向き合った。

 斎藤さんの作品「南相馬市、小高の地にて」は、小高商校長として体験した3・11の“ドキュメント詩”だが、後半部に彼の思想がこめられる。

 見えない放射線。/ヨウ素、セシウム、プルトニウム。/それはまるでそれと
 も知らずに開封してしまったパンドラの箱のようで/蓋を閉じることができ
 にいる。

 わたしたちは、ふるさとを追われた。/楽園を追われた。/洪水の引いた後の
  未来には、果てしない流浪の荒野が広がっていて/神よ、これは人類の原罪。
  /これを科学文明の罪と呼ぶのなら/この大洪水時代に、ノアはどこにいる
 ですか。/地球は巨大な箱船(アルク)になれるのですか。

 いくつもの厄災が降り落ちてくる星空をながめながら/カナンの地まで。

 荒野をさまようわたしたちの旅は/いったい、いつまで続くのだろうか。

 事業懇談会には「歴程」同人の斎藤さん、いわきの詩誌「詩季」同人の長久保博徳(筆名・長久保鐘多)さんも加わっている。斎藤、長久保さんのほかに、旧知の地元の委員もいる。
 
 会議が終わって、すぐ学校(郡山東高)へ戻るという斎藤さんと別れ、長久保さんと少し話をした。3月11日で丸3年になるが、節目という気がしない、なぜだろうというから、原発があるからね――それで了解し合えるのだった。
 
 いつ再び暴走を始めるかわからない手負いの原発と隣り合わせで暮らしている。文明が生み落としたこの怪物は、壊れて水漏れのするヤカンの中で、水につかって静かにしているだけだ。汚染水が止まらない。トラブルが次々に起きる。いわきの人間も、いつカナンの地を求めて流浪の旅に出るかわからない――そんな懸念がときどき胸をふさぐ。
 
 最初の1年はわけもわからず過ぎた。節目の日には豊間のキャンドルナイトへ出かけた。丸2年の節目の日にも豊間へ出かけた。丸3年がたとうとしている今は、地震・津波からの復興を実感する一方で、「現代の怪物」に対する不安・怯えが日常化した。

きょう(3月11日)はふだんの日と変わらず過ごす。午後2時46分には海の方角を向いて黙祷する。津波犠牲者への鎮魂と追悼の思いを新たにする。

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