2014年3月13日木曜日

節目報道

 東日本大震災から丸3年の「節目報道」が3月11日にピークを迎えた。なかで、3月8日に放送されたETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から3年」が胸に響いた。
 
 わがふるさと・阿武隈高地を走る国道399号、同288号、114号などの「原発ロード」の放射線量が可視化されていた=写真。深夜ひとり、網膜に焼き付いている現実の風景と重ねながら、「ふるさとの今」を見た。
 
「節目報道」は別名カレンダージャーナリズム。そのことを忘れている人には有効だが、一日も忘れられない人にはかえって苦しみとなる場合がある。交流スペース「ぶらっと」=イトーヨーカドー平店2階=へ足を運んだ人の何人かがそうだった。3月11日の「ぶらっと」の様子を告げるスタッフブログを次に要約・紹介する。
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 今日は午前中から続々と人が集まって、2時46分、みんなで黙祷しました。亡くなられた方々に心からご冥福をお祈りします。本日、ぶらっとに足を運んでくださった方の声をご紹介させていただきます。
 
「テレビは震災のことばかり。見たくないからDVD借りてきた」「世間では風化しないように……と特番ばかり。もう忘れたい。見たくない」「昨日、家で縫い物をしていたらテレビで震災のことをやっていて、涙が止まらず針が指に刺さった」

「もう3年。最初の年、自分が何していたのか覚えていない」「一人で家で落ち込んでいるより、ぶらっとで笑い合ってるほうがいい」「みんなの顔を見に来た。一人でいたらおかしくなりそう」「昨日、夢で地震にあい家の扉が開かなくて避難できない夢をみて気分が悪くなり起きた。その後、ずっと胃がキリキリしていた。思い出すだけで頭痛い」「3年たつのに結局何も変わらず、住む場所も決まっていない」
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 メディアは「特別の日」であればあるほど高揚する。ところが、肝心の当事者、地震や津波で家を失い、原発事故でふるさとを追われた人たちは逆だ。できるだけ平常心を保とうとする。私も3月11日は、新聞をじっくり読むこともなく、テレビを見続けることもなく、その日やらなければならないことを決めて過ごした。
 
 朝から期限の迫った確定申告の準備に追われた。微々たる額だが、源泉徴収をされた所得税がある。それを取り戻すための還付申告に必要な書類をそろえ、昼過ぎ、会場のイオンいわき店へ出かけた。順番待ちの列に加わること1時間余。係の女性がパソコンの画面を開き、てきぱきと入力して手続きをすませてくれた。

 腹をすかせて家に帰ると、花屋のM子さんがいた。見も知らない大阪の花屋さんからの、被災地いわきの人間に対する花の慰労を受けた。M子さんが帰るころ、小学生たちがわが家の前をおしゃべりしながら通りすぎた。それで、大地震がおきた午後2時46分が近いことを知る。
 
 ひとり茶の間へ戻り、海の方を向いて黙祷した。そのまま、コタツにもぐりこんで休んでいると、今度は豊間の大工のS君が相棒とやって来た。M子さんのときもそうだったが、当時の話をすることはなかった。とうとう昼めし抜きになった。

 メディアの話に戻る。きのう(3月12日)は、「ぶらっと」のブログを書いたスタッフが、被災者を支援する人間のひとりとして新聞に紹介されていた。「なんか自分の伝えたいこととメディアの求めることは違うみたいでもどかしい」。市民とメディアのこのズレ、深くなっていないだろうか。

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