2014年3月14日金曜日

工場見学会

 いわき市の「環境にやさしいくらしかたをすすめる会」(和田佳代子会長)が、3月末で活動を終える。市民・事業者・市がそれぞれ分担して環境保全活動を進めようと、平成13年秋、市民団体を中心に結成された。最後の事業として、おととい(3月12日)、メンバー企業でもあるクレハ(錦町)の工場見学会が行われた=写真

 会の立ち上げには、いわき地域学會初代代表幹事の故里見庫男さんがかかわった。カミサンが代表のシャプラニールいわき連絡会も、里見さんの一本釣りで加わった。見学会には夫婦でどうぞというので、金魚のフンよろしくついて行った。
 
 オートメ―ション化された薬品工場を見学し、製品を梱包するロボットの動きに目を奪われながら、思い出したことがある。
 
 クレハがまだ呉羽化学工業といっていたころ、勤務する地域紙の勿来支局で3年間仕事をした。主な取材先のひとつだった。三十数年前、昭和50年代後半の話だ。「貨車売りからグラム売りへ」。確かそんなことを当時の総務部長さんがいっていた。主力製品が抗がん剤のクレスチンに変わったことをさしていたのだろうが、当時、どこまで理解していたか。
 
 それより前の昭和40年代、いわきでも公害問題がピークを迎えていた。その経験から、クレハは「地域との共生」を前面に打ち出す。
 
 いわきキノコ同好会が発足したときには、クレハからも愛菌家が参加した。クレスチンはカワラタケの菌糸体からつくられる。その研究にたずさわったかどうかはわからないが、顔の見える企業になった、という印象を受けた。
 
 それよりなにより、市民の暮らしに直結している製品といえばクレラップだ。いわきの人間としては、やはりサランラップよりクレラップに手が出る。クレハの工場を見学しながら、まちがって「サランラップ」といわないように――それぞれが“予習”しながらの道行きとなった。
 
 おまけをひとつ。勿来支局に勤務する前は本社で市役所を担当していた。公害問題では取材競争が行われた。旧知の元県職員氏も、たまたま私と同じように誘われて見学会に参加していた。当時、公害を監視し、取り締まる側だった。「あのころは……」と2人、様変わりした工場敷地内を見学しながら、センチメンタルジャーニーの気分にひたった。

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