2014年3月21日金曜日

地域の子

 学区内に8つの行政区がある。区長に招待状がきた。ほかの区長さんにまじって、初めて小学校の卒業式に臨んだ。雨だけどハレの日だ、などと自分に言い聞かせながら。

 中学校などからも招待状がきた。が、年度末も年度末。行政区や所属している団体の事務、行政がらみの会議、頼まれた原稿もあって、時間がいくらあっても足りない。小学校の卒業式だけはと、毎年出席している民生委員(カミサン)を車に乗せて出かけた。

 わが子の入学式も、卒業式もカミサンまかせだった。仕事ではたびたび、子どもの母校以外の入学・卒業式を取材した。が、それはもう30年以上も前のこと。学校でもらった資料=写真=で確かめながら、厳粛ななかにもショー的な要素が盛り込まれた卒業式を“観察”した。ずいぶん様変わりしていた。

 主役はもちろん、巣立つ6年生。それを見送る後輩は5年生だけ。陰の主役は保護者。デジタル社会を実感したのは、大部分の親が席に座ったまま、片手にビデオカメラを握ってわが子の晴れ姿を追っていたことだ。当事者が撮影・編集をこなすのだから、メディアの通りいっぺんの記事は読まれないわけだ――などと、場違いな感想を抱いた。

 前日の夕方、近所の公園のわきにある集会所の前に、子どもを守る会の保護者と一緒にごみネットを張った。以前、子どもたちがキャッチボールをしているうちに、ボールがそれて集会所のガラス戸を割ったことがある。その再発防止策だ。

 区の役員会で決まり、ごみネットも買っていたが、冬なので先送りにしていた。集会所の管理人から「ネットが張られるまでキャッチボールはしないように」といわれたと、保護者から連絡があり、急きょ、春休みを前に取りつけたのだった。

 公園で遊んでいた子どもたちが近づき、神妙な顔つきで「ガラスを割ったのはこの子です」「キャッチボールができるようにお願いします」などと謝罪・嘆願した。子どもなりになりゆきを心配していたのだろう。卒業式で、公園で見た顔を探したが、6年生にはいなかった。5年生? いや、4年生だったかもしれない。

 自発的な“告白”に、小学生がぐっと身近な存在に感じられたばかりだ。そう、わが子ではなくても「地域の子」なのだ――ということを、卒業式であらためて実感した。

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