2014年3月3日月曜日

トンチンカンな日々

「ごはんよー」。台所から声がかかった。食卓に向かったら、「あっ、(炊飯器の)スイッチが入ってなかった、ごめん、ちょっと待って」。昔はここでひとことふたこと文句が出たものだが、このごろはだいぶ“許容力”がついた。

 ある晩、隣家との境からカーオーディオの音が聞こえてきた。茶の間のテレビの音とは別に、くぐもった音が低く、途切れることなく響く。台所の窓からのぞいたが、外に車が止まっている気配はない。音も聞こえない。茶の間に戻ると、また音が小さく低く響く。おかしいなぁ――。

 茶の間に石油ストーブがある。タンクに給油するため、やかんを持ち上げたら突然、音が鳴りやんだ。音源は、やかんのお湯のガンガンカンカンだった。耳鳴りとテレビの音が重なって、ガンガンカンカンがカーオーディオからもれるモダンジャズっぽい音楽に聞こえた。

 夫婦で少しずつトンチンカンの回数が増えている。“言い間違い辞典”をつくることにした。

「イグアスの滝」が「イグアナの滝」になり、「沢尻エリカ」が「沼尻エリカ」に変身する。先日、客人と食べに行って気に入った「スーラー野菜湯麺(タンメン)」も、次の日には「ソーラー野菜湯麺」に変わっていた(「スーラー」は漢字で「酢辣」。風邪を引いたかなと思ったときに、このタンメンを食べて汗をかいたら体調が戻った――と、同席した知人がいう。面白い味だった)。

 幼い子は大きくなるにつれて類音を区別するが、大人は再び幼い子に戻っていく過程で類音の区別がゆるくなっていく、ということだろうか。
 
 まど・みちおさんの訃報に接して、まどさんの『百歳日記』(NHK出版生活人新書=写真)を読み返した。2010年1月3日放送のNHKスペシャル「ふしぎがり~まど・みちお百歳の詩」から生まれた本、と帯にある。なかに<トンチンカン夫婦>という詩が載る。その一部。
 
 私が片足に2枚かさねてはいたまま
 もう片足の靴下が見つからないと騒ぐと
 彼女は米も入れてない炊飯器に
 スイッチを入れてごはんですようと私をよぶ
 おかげでさくばくたる老夫婦の暮らしに
 笑いはたえずこれぞ天の恵みと
 図にのって二人ははしゃぎ
 明日はまたどんな珍しいトンチンカンを
 お恵みいただけるかと胸ふくらませている 
 
 笑いは確かに絶えないが、それはトンチンカンをごまかすためで、内心はやはり、おたがいの“ボケ度”を測っているところがある。
 
 先日も、いただいた白菜の産地をめぐって、「熊谷だ」「いや、深谷だ」となった。贈り主の知人のブログから熊谷産であることを確かめると、「私はそう言ったでしょ、それなのに深谷だ、深谷だってきかないんだから。深谷ネギが頭にあったんだわね」と勝ち誇ったように言われた。

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