2014年4月10日木曜日

スモモの白い花

 庭のスモモ(プラム)は、今年はみごとなほど白い花=写真=をまとっている。夏には赤黄色い実がいっぱいなるに違いない。それはしかし、ちっともいいことではない。

 梨農家の例でいえば、春には芽かき・摘蕾・摘花、初夏には摘果がある。収穫に追われたあとの晩秋~冬には剪定が待つ。

 スモモも摘蕾・摘花が必要なのに、素人の浅はかさで、ほかの庭木と同様、放置したままだ。同じ庭にある柿の木も、何年かに一度、近所の庭師さんにばっさりやってもらうだけ。肥料もやらない。そもそも果樹の手入れの仕方がわからないのだ。

 スモモは長男の小学校卒業を記念して植えた。チラシを見て苗木を購入した記憶がある。子どものころ、夏になると仲間と連れ立って近所のスモモを食べた。夏の味の思い出を息子たちにも――という親心と、スモモへの食欲が、「実のなる木」に興味を持つきっかけになった。
 
 初めのころは実のなるのが面白くて、せっせと収穫した。が、夫婦2人だけになった今は、スモモの実がなってももてあましてしまう。

 阿武隈の山里で生まれ育ったので、小学校より早く「山学校」に入った。雑木林が遊び場だった。秋にはクリの実を拾い、アケビをもぎって食べた。その延長で山菜やキノコを採る楽しみを覚え、野菜も栽培するようになった。が、樹木は今もってわからない。園芸種になるとなおさらだ。

 義弟が桜(ソメイヨシノ?)の苗木を買ってきた。小学校に入学した私の孫の入学記念だという。それはそれとしてありがたいのだが、どこに植えたものやら。何十年かあとの、見上げるような姿を思うと、孫の家の庭にも、わが家の庭にもスペースはない。

 日清戦争、日露戦争と勝つたびにソメイヨシノが日本各地に植えられた。「戦勝桜」だ。その桜は今、どうしたろう。病気にやられていないか。孫にはやはり、ヤマザクラのような生命力を身につけてほしいものだ。

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