2014年4月13日日曜日

「みみたす」石住篇

 きのう(4月12日)、FMいわきからPR誌「みみたす」4・5・6月号=写真=が届いた。いわきの中山間地を探訪するカバーストーリーがおもしろいので、昨秋、「設置場所大募集」の記事を見て手をあげた。今回はいわき市田人町・石住地区だ。鮫川渓谷にある小集落の、石住小・中学校の校歌にまつわる「物語」をつづる。
 
 田人地区の小・中学校はこの春、田人小・中学校に集約された。消える学校へのレクイエムといってもいいものだが、石住の自然環境は単純な感傷を許さない。
 
 3年前の4月11日、東北地方太平洋沖地震の巨大余震(直下型地震)で学校東側の山が崩れ、車で通行中の若者を含む4人が亡くなった。先日は雨の影響で、その近くののり面が崩れた。唯一の幹線道路である御斉所街道(県道いわき石川線)が再び通行止めになった。全線復旧には1年以上かかるという。前回は鮫川に仮橋を架け、対岸に仮道路を設けて迂回路とした。今回もそうなるのだろう。
 
 浜通りと中通りを結ぶ大動脈だ。日に3000台以上、車が行き来する。住民が「オイルロード」と呼ぶくらいに、小名浜からのタンクローリーが目立つ。産業の血液であるオイルが、中通りへスムーズに供給できなくなった。
 
 そうしたことを頭に入れて、「石住散歩ひゃくよん」を読む。共鳴するキーワードが3つあった。校歌に出てくる「にりん草」、校歌の作詞者「高橋新二」、午後3時前には山に隠れる「太陽」だ。
 
 ある年の4月上旬、石住で鮫川に合流する対岸の戸草川渓谷へ、カタクリの大群落を見に行ったことがある。ニリンソウも、それはそれは見事だった。カタクリの紫、ニリンソウの白――「いわきにも自然の大花園がある」と感動したものだ。
 
 高橋新二(1906~97年)は全国に知られた、福島県を代表する詩人の一人。先日、ネット古書店を営む若い仲間が新二の詩集『鬱悒(うつゆう)の山を行く』(昭和4=1929年刊)を持ってきた。「買え」とも「あげる」とも言わないのをいいことに、手元に置いて、ときどきパラパラやる。
 
 そのなかの1篇「松」は山峡の詩だ。「谷がまがる 岩がまがる/その向ふの古生代の地層の頭に/冷たい思想の松がかヽる//松は崖の上で横になる。/松は水の上の姫になる/松は頂の空と地の煙になる。/煙はあの心 この心/谷の深い概きとなる。(以下略)」
 
 青年新二の内面にあった山峡の風景と、中年新二が見た石住の風景とが重なる。「山から谷から元気よく/貝屋へ通うよい子ども/あかるい窓が迎えてる/なかよい友が待っている/田人石住みんなの学校」(校歌1番)。貝屋は、学校があるところの地名だ。
 
 昭和38(1963)年1月25日の、新二の創作ノート。石住では「二時半には山に太陽がかくれる」。私が定期的に出かける夏井川渓谷は冬、3時になると太陽が山に隠れる。鮫川渓谷は夏井川渓谷よりも山が深いのだと知る。
 
 さてさて、「ひゃくよん」とは? メトロノームの104、つまり「1分間で104拍」の、校歌のテンポのことだった。「歩くのが当たり前だった時代には、歩くのなんてなんともなかった時代には、それに寄り添ったテンポがあったはずです」と記者は書く。

「となりのトトロ」の<さんぽ>は、いかにも歩きだしたくなるような、軽快なテンポの曲だ。検索にかけたら、1分間に120拍という数値が出てきた。石住小中の校歌は、それよりは少しゆるやかな曲らしい。

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