2014年4月19日土曜日

小1の死

 郡山市の阿武隈川で子ども3人がおぼれ、2人が意識不明――4月16日夜、ローカルテレビが速報した。「小1ではないだろうな」。とっさにそう思った。なんの根拠もない。ただ、孫が小学校に入って2週間目。その孫の顔が思い浮かんだだけだ。

 翌日、新聞が小1男児の死亡と3歳女児の重体を報じていた=写真。なんともいたましい。
 
 新聞に載った事故現場の地図から、阿武隈川の記憶を探る。南の国道49号と北の国道288号の間だ。郡山市立美術館へ行ったり、美術館の近くの阿久津町を巡ったりしたときに、阿武隈川は視界に入っていた。わがふるさの山の大滝根山を水源とする大滝根川も、事故現場の北(下流)で合流している。

 中通りの阿武隈高地を離れて、浜通りのいわき市(当時平市)に移り住むまでは、大滝根川に沿って郡山市へ出かけるのが大きな楽しみだった。列車で阿武隈川の鉄橋を渡ると郡山のまち――子供心にも期待と緊張が広がった。今は大滝根川と同じ山を水源とする夏井川を見て暮らしている。

 きのう(4月18日)の事故の続報に、また胸が熱くなった。子どもたちが何人か、コンクリート護岸で遊んでいるうちに3歳の女児が川に転落した。それを見て、小1男児が助けようと川に入った。男児の姉(小3)も続いた。3人が流された。小1であっても身の危険を顧みずに川に入っていく、その愛他のこころに打たれた。

 たまたまおととい午後、父親と小1生がやって来た。小学校の様子をいろいろ聞いた。まだ緊張がほぐれないながらも、学校へ行くのが楽しそうだった。この孫が郡山市の子と同じように……、いやいや、そんなことは考えまい。その男の子も楽しみながら学校へ通い始めたばかりのはず……。あらためて哀悼の思いを深くした。

2 件のコメント:

かぐら川 さんのコメント...

霜川の作品に「四倉」だけでなく「阿武隈」も“阿武隈の堤防は蜿々として涯もなく続いて、其上に松の並木があった。」と登場します。今日、ある集まりで霜川と磐城の話をし、調べたばかりの阿武隈高地のことも話題にしました。
そんな昨今ですので、このニュースを耳にしたとき、心が痛みました。

タカじい さんのコメント...

かぐら川さん、コメントありがとうございます。阿武隈高地は「汚染された山々」としてすっかり知れわたりましたが、3・11前は最も人気のある「セカンドライフの地」だったのです。雪も会津ほど積もらず、山も険しくなく、郡山にも、いわきにも近い。で、高地に降った雨は、半分は西側の阿武隈川へ、半分は東の太平洋へと注ぎます。私は、今は「地域」の前に「流域」で物事を考えるようにしています。その方が間違いが少ないと考えているからです。