2014年4月2日水曜日

都路の避難指示解除

 田村市都路町=写真=は、合併したからこそ「町」になったが、もとは「田村郡都路村」だ。南北に縦断する阿武隈高地の中央部、分水嶺の東側に位置する。その一角に母の実家がある。離れて祖父母の隠居もあった。生まれ故郷の同市常葉町の次に、幼いときの記憶が詰まった山里だ。
 
 その都路の東部、避難指示解除準備区域の「避難指示」がきのう(4月1日)解除された。事故をおこした福島第一原発から20キロ圏内にある旧警戒区域だ。避難指示解除報道に接して、2年前の夏に出会ったおばあさんの顔が思い浮かんだ。

 お盆の前、実家の床屋で散髪をしたときのこと。80歳を超えるおばあさんが染髪と顔そりを終え、義姉と雑談を始めた。ざっと60年前の結婚のいきさつを語った。結婚披露宴の後に、初めてご主人の顔を見た。「割りばしのような人だった」という比喩にふきだした。

 おばあさんの自宅は都路にある。双葉郡大熊町に接する旧警戒区域だ。原発事故がおきて、まず常葉町の雇用促進住宅に避難した。最上階だった。上がり下りがこたえたので、次に常葉の隣の船引町の仮設住宅に移った。ご主人はそこで亡くなった。新盆は、都路の自宅ではなく仮設住宅で行われた。

 息子さんが自宅内外の線量を測った。「線量があって(高くて)住めねぞっていうんだ」。淡々とした口調に、かえって厳しい現実がうかがえた。その後、都路では国直轄の除染作業が行われた。

 おばあさんは指定解除を受けてどうしたろう。帰宅したのだろうか。仮設住宅にとどまっているのだろうか。

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