2014年4月9日水曜日

シロイキジ

 昔は夏井川をはさんで、街と向き合う農村だった。それが、昭和30年代からの高度経済成長とともに、ベッドタウンと化した=写真(2011年1月22日撮影)。今、その一角に住む。

 三十数年前、子どもが地元の小学校に入学した。幼稚園は街の中にあった。当初は、まわりに友達がいない1年生だった。その小学校で月曜日(4月7日)、入学式が行われた。来賓として区長と民生委員らが出席した。午後にはその区長と民生委員の合同懇親会が開かれた。

 懇親会に参加するのは、去年に続いて2回目だ。この1年で他地区の区長さんはもちろん、民生委員さんとも顔なじみになった。ふだんの暮らしの延長で話ができるようになった。

 ひとつ丘の向こう、純農村の民生委員さんはイノシシが出没して困る、丘の手前の区長さんは日曜日(4月6日)にサルが現れた――そんな話をして、住宅が密集する地区の人間を驚かせた。

 宴もたけなわになって、恒例の自己紹介が始まった。よそから嫁いで長いが、いまひとつ地域にとけこめないでいた、地域のため何か役立ちたい、それで民生委員を引き受けたという女性がいた。拍手がわいた。

 地域のお年寄りの生きがい対策を兼ねてそばを栽培し、試食会を開いた区がある。雨にたたられ、収量は思ったより少なかったが、つてを頼ってそば粉を調達し、そばを打ったら喜ばれた。別の区では、高齢者の見守り隊が発足するという。なんだか、少し元気になるような話が続いた。
 
 区長になって、顔と名前の一致する人が増えた。新聞記者をやっていたときと違って、地域の情報が深いレベルで入ってくる。今、記者をやればいい記事が書けるかもしれない――などと語ったら、すかさずイノシシの民生委員さんが反応した。
 
 ざっと30年前のことだ。PTA役員をしていたその人が白いキジを生け捕りにして、小学校に寄贈した。記事にした。その話を、彼はきのうのことのように披露した。
 
 そこからまた、座が盛りあがった。「シロイキジってよくわからないんですが……。新聞に白い記事、つまり空白ができたってことですか」「いやいや、鳥のキジが白かったので新聞記事になった、ということです」
 
 日本では大化の改新のあと、元号が白雉(はくち=650~54年)に変わった。白いキジが献上されたのを瑞兆として改元したとされる。現代の白いキジは間もなく、中通りの鳥獣保護センターへ送られた、と民生委員さん。
 
 イノシシ、サル、キジ。イノシシの代わりにイヌの話が出たら……。鬼退治に出かける桃太郎の物語になったか。

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