2014年5月10日土曜日

ヘボンの英和辞典?

 NHKの朝ドラ「花子とアン」の時間になると、珍しくカミサンがテレビの前に陣取る。いつもは台所に立っていて、朝ドラはほとんど見ない。ミッションスクールが舞台で、英語が重要な道具立てになっている。自分の青春時代と重なるものがあるのだろうか。

 今週(5月5~10日)の「腹心の友」では、エピソードのひとつとして、出版社でアルバイト中の花子の翻訳力が急場をしのぐ様子が描かれた。社員のたばこの火の不始末で翻訳原稿が燃える。翻訳に必要な辞書が手元にない。花子がいう。印刷所より学校の方が近い。学校の「図書室ならヘボンの英和辞書があります」。

 ヘボン(1815~1911年)とくれば、反射的に岸田吟香(1833~1905年)が思い浮かぶ。

 ヘボンは幕末に来日した宣教師、そして眼科医、言語学者だった。ヘボンに目の治療をしてもらった吟香は、ヘボンの和英辞典『和英語林集成』=慶応3(1867)年初版=の編集を手伝う。ヘボン直伝の目薬の製造・販売も手がける。それだけではない。日本の新聞記者の草分け、日本最初の従軍記者、目薬の広告をみずから考案するコピーライターでもあった。

 いわき駅前再開発ビル「ラトブ」の建設工事中に、磐城平城外堀跡から吟香が販売した目薬「精錡水」の荷札が出土した=写真左端。その話を何年か前、いわき地域学會の市民講座で聴いた。講師は同会顧問で考古学が専門の馬目順一さん。出土品からヘボンの目薬、和英辞典、岸田吟香、ヘボン式ローマ字と話題が転がり、それに刺激されて後日、ヘボンや吟香に関する本を読んだ。
 
 なにを言いたいか。花子が口にしたヘボンの辞書の話だ。ヘボンがつくったのは和英辞典だが、ドラマの原作、村岡恵理『アンのゆりかご――村岡花子の生涯』(新潮文庫、2011年)には、日本で初めての英和辞典は明治の初年にヘボンがつくった、とある。

 和英と英和では仕組みが違う。頭がこんがらかってきたので検索をかけたら、明治19(1886)年発行の第3版では、『和英語林集成』が『改訂増補 和英英和語林集成』になっていた。明治5(1872)年の改訂再版から英和の機能も備えていたようだ。してみると、ドラマが念頭においていたのはこの再版の辞典だったか。

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