2014年5月21日水曜日

糠床の眠りをさます

 そうだ、帰ったら糠床の眠りをさまそう。ほんとうは大型連休後半のいずれかの日、糠漬けを再開したかったのだが、忙しさにかまけてずれこんだ。新「ぶらっと」での茶飲み話で、<なにがなんでも、きょうやるんだ>という気持ちになった。

 糠床は甕のなかで食塩のふとんをかぶって眠っている。きのう(5月20日)、そのふとんを取り除き、新しい小糠と食塩を加えてかきまぜた=写真。
 
 ――いわき駅をはさんで、東側のイトーヨーカドー平店から西側のスカイストアへと、交流スペース「ぶらっと」が移転してから1カ月半がたつ。きのうの夕方、「レッドワーク」のサークルに関係しているカミサンを迎えに行って、茶飲み話に加わった。

 双葉郡から原発避難をし、今はいわきに住む若い女性スタッフ、大地震で家が被災し、借り上げ住宅で暮らす女性利用者、そしてわれら夫婦の4人だ。いつの間にか漬物と糠床の話になった。

 女性利用者の家は地震のとき、近くのトランス(変圧器)が壊れて停電した。冷蔵庫のなかのものが腐敗し、祖母から母が、母から自分が受け継いだ糠床もダメになった。

 思いだした。「震災と糠床」ではこんなことがあった。1つはわが家の糠床で、原発避難をしている間にダメになるところだった。
 
 10日前後、人間の手が加わらず、酸欠状態だったので、表面にアオカビが生えた。アオカビ層は1ミリ程度だった。胞子が飛ばないように、慎重にお玉で糠みそごとアオカビをかき取り、布を濡らして甕の内側をきれいにしたあと、よくかきまぜた。ぎりぎりでわが家の糠床はふんばり、生き延びた。

 もう1つ。浪江町の糠床がいわきにやって来た。ある町民が、原発がおかしくなって、浪江から東京へ避難した。一時立ち入りの際、家から糠床を持ち出した。冬場は食塩を敷き詰めて休眠させていたのだろう。東京へ持って行くのは断念して、いわきに住むいとこに糠床を託した。こちらは祖母の、そのまた祖母から続く糠床だ。

 双葉郡全体ではどのくらいの糠床が救出され、ダメになったか。何代も引き継がれてきた糠床は、それ自体、生きた文化財だ。原発事故で庶民の食文化はずいぶんやせ細った。

行政は「糠床再生」を施策の1つにしてもいいのではないか――糠床の眠りをさましたちょうどそのとき、今は楢葉町の情報発信の仕事をしている元「ぶらっと」スタッフが顔を見せたので、そんなことを話した。糠床はきっと、避難中の町民の健康と生きがいのもとになる。

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