2014年6月1日日曜日

ことだまの森 詩歌句の路

 いわき地域学會の前代表幹事で大国魂神社宮司の山名隆弘さんから手紙をいただいた。神社境域に隣接する地で5月29日、田中志津さんの歌碑と、娘の故田中佐知さんの詩碑の除幕式が行われる――ついてはご臨席を、という案内・招待状だった。

 志津さんは新潟県生まれの作家・歌人で今年97歳。佐知さんは詩人だ。志津さんの次男の行明さんがいわきに転勤してから、いわきと縁ができた。詩の朗読コンサートの新聞記事などでお名前は承知していたが、お二人の作品を読んだことはない。歌碑、詩碑が作品に接する最初になった。

 志津さんは「ついのすみか」と決めて次男と暮らしていたいわきで震災に遭遇する。今は東京へ自主避難をしている。「地面割れ海の大波船踊る小名浜港に海かもめ舞う 平成24年9月15日」。震災の光景を詠んだと思われる自筆の一首が、志津さんのふるさとの新潟県の石に刻まれた=写真。

 佐知さんの作品は「砂の記憶」1篇。「暗い天空に輝く/億年の歴史を秘めた星が/砕けて 散った/それが 砂だった(以下略)」。極小の存在に極大の時空を見た作品で、こちらも自筆の字で刻まれた。
 
 手紙に同封されていた神社の2月の社報で、山名さんが「ことだまの森 詩歌句(うた)の路(みち)づくり」構想を記している。あと4年もすると、石城國が建てられてから1300年の節目を迎える。その記念事業として、神社の裏参道から裏山へと通じるルートを整備し、言霊(ことだま)を大切に考える散歩道とするとともに、詩・短歌・俳句などの「うたの碑(いしぶみ)」を配置する。今春、その事業に着手しようと考えている――という内容だ。
 
 田中さん母娘の詩・歌碑はその出発地点に建てられた。「うたの碑」第1号だろうか。除幕式のあと、自分の歌碑の前で感謝の合掌をしている車いすの志津さんが歌碑に映っていた。その姿にあふれるような真情を感じた。

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