2014年6月14日土曜日

真尾悦子著『歳月』

「真尾さんの年賀状が出てきたわよ」。茶の間の押し入れを片づけていたカミサンから声がかかった。阪神・淡路大震災の翌年、平成8(1996)年に珍しく自分からみんなに賀状を出した。その返礼を兼ねたはがきだった。

 真尾さんは、真尾悦子(1919~2013年)。いわきとの縁が深い作家だ。

 夫の倍弘(ますひろ)さん、そして2歳に満たない娘さんとともに、昭和24(1949)年、縁もゆかりもない平へやって来る。同37(1962)年には帰京するが、それまでの13年間、夫妻が平で実践した文化活動は、大正時代の山村暮鳥のそれに匹敵するくらいの質量をもっていた、と私は思っている。

 真尾さんは平時代の昭和34(1959)年、最初の本(『たった二人の工場から』)を未来社から刊行する。同社の編集長は松本昌次さんで、真尾さんの最後の本になった『歳月』(影書房、2005年)=写真=も、松本さんが編んだ。その間、真尾さんは『土と女』『地底の青春』『まぼろしの花』『いくさ世(ゆう)を生きて』『海恋い』などの記録文学を世に送り続けた。

 私が30代後半のとき、ある集まりで初めてお会いした。「あなた、私の息子によく似てるわよ。笑ったところなんか、そっくり」「それじゃ、いわきの息子になりますか」。息子さんは、私より2歳若い。平で生まれた。以来、真尾さんが平へ来るたびに、「いわきの息子」として声がかかり、お会いするようになった。わが家へ顔を見せたこともある。

 1996年の賀状には「週末ごとに自然のふところを巡っていらっしゃるのはほんとうに羨ましいかぎりです。私の好きなテレビ番組に世界生きもの紀行があります。ゆうべは知床のリスでした。こんどお会いできたとき、いろいろ聞かせて下さい」とあった。

「週末ごと……」とは、義父に夏井川渓谷の隠居(無量庵)の管理を申し出て、週末を渓谷の森を巡って遊ぶようになったことを指す。それから初めて迎えた新年、その体験を伝えたくて賀状に綴ったのだろう。

 賀状と同じく、『歳月』も震災後のダンシャリで出てきた。真尾さんから恵贈にあずかったものの、勤めていた新聞で紹介することもなく過ぎた。

 真尾さんが亡くなったのは去年(2013年)の4月24日。人づてに「いつの間にかいなくなったということにして、家族だけで見送ってくれるように」と言っていたと聞いて、文を書くのがためらわれた。

 しかし、いわきの文化史には欠かせない存在だ。放っておくわけにはいかない。1周忌に合わせて、9年遅れながら本の紹介も兼ねて、なにか書かねばと気持ちを奮い立たせたものの、それもかなわなかった。ためらいがまさった。そこへ賀状が現れた。思い切って書くことにした。
 
 図録に載った私の文章の最後の部分を、感謝の気持ちを込めて記す。「いわきを離れて日々に疎くなるどころか、きょうだいのように、親子のように、人間関係が濃密になってゆく。同じ暮らしの目線に立っているからこそ喜怒哀楽を分かち合えるのだろう。だから、というべきか、『病気なんかしてないでしょうね』こちらを思いやる電話に“不肖の息子”はついほろりとしてしまうのである」

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