2014年6月18日水曜日

二十日大根から始める⑤

 大型連休後半の5月4日、日曜日。いわき市小川町の夏井川渓谷にある隠居(無量庵)で家庭菜園を再開した。除染後、山砂の敷き詰められた庭の一角に二十日大根とカブの種をまいた。経過を、ブログの文章を抜粋してたどる。

*5月6日付=もう一度、ゼロから野菜づくりを始めないと――。18年前の“原点”にかえって、二十日大根とカブの種をまいた。
*5月19日付=2週間もたっているのに、3~4日後の発芽状態となんら変わりがなかった。山砂は土よりきめが粗い。保湿力も低い。繊細な種の布団としては不向きなのだろう。
*5月27日付=種をまいてから3週間たった日曜日(5月25日)。二十日大根は緑の線になり、カブはようやくすべてが芽を出した。こちらは極端なほど育ちに遅速がある。
*6月10日付=二十日大根は、根元が赤くふくらんでいた。間引きを兼ねて十何個かを収穫した。「三十日大根」になったのは、種のベッドが山砂だったからだろう=写真。栄養もなければ、キメも粗い。育ちにくかったに違いない。

 畳2枚くらいの「ベジパッチ」(家庭菜園)だが、再開の過程を記録することで何かがみえてくるはず、特に山砂とどう向き合い、どう手を加えるか――を頭において、「二十日大根から始める」と題して小シリーズを始めた。その過程で6月13日、NHK「おはよう日本」の特集<除染 “農業再開の足かせに”>を見た。
 
 私の方はままごとのような庭の片隅の話。しかし、生業のレベルまで問題を拡張すれば、深刻度はけた違いに増す。飯舘村で――。農業再開のために環境省が田んぼの除染を行った。わが隠居と同様、表土をけずりとり、山砂を投入した。田んぼが白い砂のグラウンドのようになってしまった。

「先祖が見たら泣く。正直言って悲しい」と、地元の避難農家が嘆く。水田が砂で覆われたことで、稲が育たなくなるのではないかと強い危機感を抱く。

 番組はそのあと、環境省とは異なった、一種の“天地返し”のような除染の試みを紹介した。削り取った表土を田んぼの中央深く埋め、代わりに穴を掘って出た土を表面に敷き詰める。栄養豊かな粘土質の土壌は失われないで済む。

 除染を急ぐあまり、やり方が画一的となって、かえって農業再開の足かせになる、という悪循環を懸念した特集に共感を抱いた。

 そこへ、はらわたが煮えくり返るような発言が東京から伝わってきた。中間貯蔵施設の住民説明会に一度も顔を見せなかった環境相が、「最後は金目でしょ」と浅はかな言葉をはいた。
 
 この人は環境大臣になったときから、言葉のニュアンスや表情に「やってらんないよ」といったものがにじみでていた。環境行政を軽んじ、福島を蔑視する――本音がまた出た。自民の幹事長時代には福島第一原発を「サティアン」と呼んだ。山砂投入ですみかを奪われたいわきのミミズも、この「金目」発言には怒った。

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