2014年6月23日月曜日

いわき野菜の料理人

 今年(2014年)3月25日、いわき市中央台公民館で「第4回いわき昔野菜フェスティバル」が開かれた。山形県鶴岡市のシェフ奥田政行さんが講演し、昼に参加者が「いわき昔野菜弁当」を食べたあと、「種が伝えた食文化……つなげよういわき昔野菜」をテーマに、パネルディスカッションが開かれた。

 昔、いわき地域学會が市の委託を受けていわきの伝統郷土食を調査した縁で、パネリストの1人に加わった。
 
 後日、いわき駅ビルにいわき野菜をつかった「ベジカフェ」がオープンしたというので、夫婦で出かけた。たまたま居合わせた坂東玉三郎似の若者が話しかけてきた。パネルディスカッションを聞いたという。米粉の蒸しパンを試作したので、よかったらどうぞという。ありがたくちょうだいして食べた。
 
「玉三郎」はどこのだれか。気になっていたところへ、新聞折り込みで「いわきブランド農産品通信vol .59」が届いた。2面の「いわき野菜×料理人」=写真=に「玉三郎」君がいた。吉野康平、中華料理「華正楼」(平下平窪字四左エ門内152-6)の料理長だった。

 名字と場所からピンとくるものがあった。下平窪から夏井川をはさんだ真西の丘陵、好間の「菊竹山」で妻のせい(1899-1977年)と共に開墾生活を続けた詩人がいる。三野混沌、本名吉野義也(1894-1970年)。せいの出身地は小名浜だが、義也は下平窪だ。大正元(1912)年秋、磐城平へやって来た牧師で詩人の山村暮鳥と、その死まで魂の交流を続けた。

 せいは夫の死後、半世紀ぶりに文筆活動を再開し、短編集『洟をたらした神』で昭和50(1975)年、第6回大宅壮一ノンフィクション賞、第15回田村俊子賞を受賞する。

 さて、きのう(6月22日)は午前中、糠雨が降る夏井川渓谷の隠居(無量庵)で土いじりをしたり、花の写真を撮ったりした。昼食は華正楼でと決めて、早起きをして出かけた。

 午後1時前、華正楼の駐車場に着いた。車がびっしりだ。いわき野菜を使った「本日のおすすめ」のひとつ、スーラータンメンを初めて食べた。いわき野菜に関係する知人にも会った。

 そのことはいずれ書くとして、きょうは吉野義也・せい夫妻との関係だ。帰り際、料理長に聞くと、親戚だという。図星だった。いわきの「土の味」と「土の文学」が私のなかでつながった。そこからなにかが立ち上がってくるとおもしろい。

0 件のコメント: