2014年6月5日木曜日

久之浜で土志工房展

 いわき市久之浜町の北の断崖は切り通しから先の殿上崎を除いて、行ったことはないがフランスのコート・ダジュールのように、急斜面に家が張りついている。ゆうべ(6月4日)、たまたまBS日テレの<世界水紀行 フランス コート・ダジュール>を見た。それからの連想にすぎないが。

 久之浜はあの日、海岸沿いの“旧市街”が大津波に襲われたあと、火事に見舞われた。殿上崎も広い範囲にわたって崩落した。断崖は旧市街のはずれ、大久川の対岸にある。その斜面に住む人々は川を逆流してくる津波を目撃し、炎に包まれるまちを見た。

 更地化が進む旧市街から河口の陰磯橋を渡り、まっすぐ坂道を上るとすぐ、震災1年前に「人形展」が開かれた民家=久之浜字立127-1=がある。その家で6月4日から8日まで、川内村の陶芸家夫妻、志賀敏広・志津さんが娘で大学2年生の風夏(ふうか)さんと、「土志工房陶器展 2014」を開いている。

 初日夕方、訪ねた。1階には日用雑器、2階には最大径80センチはあろうかという大鉢十数点が展示された=写真。ろくろを回してつくるには覚悟と体力がいる大仕事だ。絵画でいえば、100号を超える大作をつくり続けたようなもので、敏広さんの「元気」が復活したことを実感した。

 蝶の図案が施されたものが多い。なぜ蝶だろう。案内チラシに答えがあった。「蝶のように自然の変化に敏感に反応する生き物を取り上げることで自然と人間のあやういバランスの上に今も人間が生かされていることを再認識したいという思いがあったからである。そしてこの混沌の中からの新たないのちの再生も」。むろん、原発事故という文明の災禍を踏まえてのことだ。風夏さんの手になる絵もあるという。

 われら夫婦にとっては、初めて見る「家族3人展」だった。夫妻が川内に工房を構えたのは平成3(1991)年。私ら夫婦が田村郡常葉町(当時)の実家からの帰路、初めて立ち寄ったのが翌4年秋。風夏さん、いや、風夏ちゃんはまだ生まれていなかった。

 この世に生を受けて20年の彼女が、両親と同じ陶芸に人生の目標を見いだした。これもまた敏広さんのいう「いのちの再生」に結びついているのだろう。まじめでもなく、不まじめでもなく、非まじめな大学生活を送るように――会ったら、そういってやろうかな。

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