2014年6月7日土曜日

孫も見る風景

 いわき市久之浜町の北の斜面に立つ、ある家の2階から海岸堤防と“旧市街”を眺めた=写真。家の庭は手入れされている。白と赤の草花が咲いていた。夏井川渓谷のわが隠居(無量庵)にあるのと同じ木のテーブルも、2セット置いてある。製作者は陶芸家で工芸家の志賀敏広さん(川内村)。その家で、あす(6月8日)まで親子3人展(土志工房陶器展)を開いている。

 庭は、久之浜の海とまちを一望できる撮影ポイントにはちがいない。自然とそれがわかるのか、海側の道路から直に通じている急坂を上って庭に入り込み、カメラを構える人間があとを断たないのだそうだ。

 被災地をこの目で確かめたい、という気持ちはわかる。それを写真に、という気持ちもわかる。が、そこが民家だという認識には至らない。渓谷のわが隠居の庭にもそういう人たちが入り込むのでわかるのだが、被災地への同情や悼みよりは行楽地へ来たような感覚が勝っているのだろう。

 久之浜は、私には「よそのまち」だが、孫たちには「母親のまち」だ。もう一組の「じい・ばあ」が住む。「じい・ばあ」の家は“旧市街”にある。かろうじて津波と火災を免れた。

 私は、大災害が起きるたびに、阿武隈高地のふるさとで体験した大火事を思い出す。小学2年生になったばかりの4月のある夜、東西にのびる一筋町が西風にあおられて燃え広がり、焼け野原になった。通りの裏の畑の一角で、闇夜を照らして燃え続ける家々を眺め、我が家を炎がなめつくすのを見つめた。その光景が「少2の目」に刻印されている。
 
 上の孫はこの春、小学校に入った。「小1の目」にも、重機が動きまわり、前からある建物は小さな神社だけになった「母親のまち」が、かさ上げの進む海岸堤防と集落跡に並ぶ波消しブロックが、盛り土された一角が、いやでも刻印されることだろう。
 
 無断で人が庭に入り込むという話から、つい土地の人間とよその人間とでは同じ風景でも見方・感じ方がちがう、ましてや大人と子供では――などと妄想をふくらませたのだった。

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