2014年7月20日日曜日

カレンダーが同じ

 テレビの奥の壁に2011年3月のカレンダーが張ってある。ふすまを取り払った隣室の壁には、今年(2014年)のカレンダーがかかっている=写真。なにげなく2つのカレンダーを見ていたら、ン!となった。数字と曜日と祝日の配置がまったく同じではないか。

 2011年3月のカレンダーは、備忘録代わりに張った。第3月曜日の3月21日は祝日「春分の日」。20日の日曜日と合わせて2つ、赤い数字が続く。2014年7月のカレンダーも、20、21日と赤い数字が連なる。明21日は第3月曜日、祝日の「海の日」だ。
 
 単なる偶然だが、同じカレンダーだと知った以上は黙過できなくなった。40カ月後の7月の日々に、被災直後の日々が重なる。
 
 きょう(7月20日)は、3年4カ月前は3月20日の日曜日。避難先の西郷村・国立那須甲子(かし)青少年自然の家にいて、「あしたは彼岸の中日、墓参りができないなぁ」「空き巣に入られているかもしれない」「飼い猫はどうしたろう」などと、落ち着かない気持ちでいた。原発事故に関してはひとまず暴走にブレーキがかかり、それと引き換えに、いわきを離れた不安がふくらんできたのだった。

 その3日後、水曜日、23日。施設のスタッフにお礼を言って、まだ雪の残る甲子高原を下り、国道289号を利用して帰宅した。水道は25日に復旧した。翌26日早朝、車のガソリンをやっと満タンにすることができた。その日、いわき市社会福祉協議会の専務理事(現会長)から電話が入り、「あした、シャプラニールが来る」ことがわかった。一筋の光がさした。一日一日が新しいことの連続だった。

 現実に戻る。きょうは曇りだが、勿来海水浴場で海開きの行事が行われる。海水浴ができるのは、勿来のほかは四倉だけ。3・11前のにぎわいが戻るのはいつのことだろう。

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