2014年8月1日金曜日

「災害といわき」

「広報いわき」に2014年度の新企画として<災害といわき>が載る。いわき地域学會の会員が執筆している。<其の五・関東大震災といわき>(8月号=写真)は、小宅幸一会員が担当した。関東大震災がいわき地方に及ぼした影響、いわき地方からの支援の様子を平易な文章でつづる。

 大正12(1923)年9月1日午前11時58分32秒、関東地方を大地震が襲う。小宅氏によると、いわき地方は小名浜測候所で震度5の強震だった。ネットで「福島で5」ということはわかっていたが、「小名浜で5」までは絞り込めていなかった。

 そのとき12歳の四倉の少年の記憶。「昼ごろ大きな地震だ。家の電灯はこわれるし、戸棚の上の物はみんな転げ落ちた」「驚いて私は外へ飛び出したが、他の家の人々も飛び出した」。その日の夕方、「西の空が真っ赤に染まっていたのを子供心に憶えている」(吉野熊吉著『海トンボ自伝』)。少年はのちに、東京・深川の船宿「吉野屋」の主人になる。

 最近の例でいえば、去年(2013年))9月20日未明に発生した、いわき市南部を震源とする直下型地震が「5強」だった。階段の本が崩れ、2階の本棚が倒れた。ついでながら、去年の朝ドラ「ごちそうさん」では、大阪での関東大震災の揺れが描かれ、きのう(7月31日)の「花子とアン」では、「そのとき」と「その後」の様子が描かれた。

 小宅氏によると、関東大震災の影響でいわき地方では1人が死亡し、3~4人が負傷した。いわきから常磐線で首都圏へ運ばれていた石炭・鮮魚・木材・農産品などの輸送も滞った。

 その一方で、いわき地方の自治体などが支援活動を展開した。四倉町では631人の寄留者(本籍地以外に住む人)が帰郷し、その都度救援の手が差し伸べられた。錦村では消防組員3人が20日間にわたって救護活動に派遣された。山田村では青年団が白米を購入し、被災地に送った。
 
 いわきに限ったことではないが、その土地その土地の災害史に触れる機会はめったにない。寡聞にして知らないだけでなく、研究成果も少ない。過去の災害を未来に向かって学ぶ大切さをかみしめている。

0 件のコメント: