2014年9月5日金曜日

奥さんのオトウト?

 庭のフヨウ=写真=が咲き始めたのは8月下旬。それから半月がたつが、今も次々と花を咲かせている。朝方咲いて夕方しぼむ一日花だ。花としてははかないが、見た目はいつも新しい。

 人間の記憶も、一面では一日花のようにはかない。しぼんで、変形して、まったく違ったものになる。誤解を生む――といったことも起きる。

 カミサンが米屋(実家)の支店をまかされている。ちょっとした雑貨も売っている。近所へ出かけるというので、店番を頼まれた。

 40年も前から知っている女性が食塩とチリ紙各3袋を買いに来た。電卓で代金を計算した。「計算ができなくて」といいながら、おつりを渡すと、「奥さんのオトウトさんに新聞社の人がいたよね」「オレ」「うそっ!」「オトウトでなくて、ダンナ。オレはちゃんとあなたのことを覚えてるよ、変わらないね」。

 義弟も支店でコメの配達をしている。カミサンが言う「オトウさん」(私のこと)と「オトウト」がダブって、いつのまにか新聞記者をしていたのは「奥さんのオトウト」になってしまったのではないか。

 女性は会社の近くの飲食店(確か串焼き店だった)で働いていた。私は独身のころから、よく上司に誘われてカウンターに座った。もう一人の大先輩と3人になることが多かった。そのとき、飲食の世話をする彼女と顔見知りになった。街に車を置いて帰宅した翌朝はバスになる。バスが一緒になることもあった。すまいが近所で、私が米屋に住んでいることも、やがてわかったはずだ。

 いつのころから、私は女性のなかで「米屋の奥さんのオトウト」と誤解されるようになったのだろう。年下だからオトウトには違いないが、そんなことを彼女は知るよしもない。きっかけはおそらく前述したとおりだが、ときどき店で見かける「ダンナさん」と、昔の私の外見があまりにも違い過ぎている(たとえば髪の毛)ことも、原因のひとつだったかもしれない。
 
 40年前は上司と同世代の40代前半という印象だった。今は、私よりちょっと上の70代半ばといった感じ。いや、ただそう見えるだけで、ほんとうは80歳を超えているかもしれない。私もまた彼女を正確にはわかっていないのだ。こうして、人生は、社会は誤解で成り立っているものなのか。

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