2014年9月6日土曜日

90年前の紙屑

 <おうい、雲よ/ゆうゆうと/馬鹿にのんきさうぢやないか/どこまでゆくんだ/ずつと磐城平の方までゆくんか>。大正13(1924)年1月15日発行の、磐城平の同人詩誌「みみづく」には、この山村暮鳥の詩「友らをおもふ」が載る。
 
 ほかに、草野心平らの詩、暮鳥が最も期待した地元の若手詩人磯貝彌(1895?―1919年)について知ることのできる佐々木顕「磯貝彌氏の手紙」、4カ月前の関東大震災で亡くなった親友を詠んだ鈴木茶茂子の歌も収める。通巻第3輯、第2年第1号で、発行兼編集印刷人は馬場京助(いはらき新聞記者)。暮鳥研究者にとっては垂涎の雑誌だろう。

 3・11後、いわきでも「全壊」「大規模半壊」の住家の解体が続いた。あるとき、古本屋を営む若い仲間が、この「みみづく」の現物を持ってきた。某家でダンシャリが行われた。そのときに出てきたもののひとつだという。

 コピーは四半世紀前から持っていたが、本物を手にするのは初めてだ。紙の質、表紙絵の色、活字の凹凸感、日焼け具合、裁断の雑さなど、コピーにはない情報をたくさん秘めている。しばらく預かることにした。

 その経緯を、2013年10月10日付の当ブログ(「古書は巡る」)に書いた。これが、群馬県立土屋文明記念文学館のスタッフの目に留まった。いわき市立草野心平記念文学館の学芸員女史を介して連絡があった。秋に「山村暮鳥生誕130年記念展(仮称)」が開かれる。「みみづく」の現物を展示物に加えたいという。

 現在の所有者(若い古本屋)の了解を取り、たまたま預かり人である私が立ち会うかたちで貸し出すことになった。その作業が先日、心平記念文学館で行われた。同文学館からの資料貸借に合わせ、わが家に来てもらうより私が文学館へ出向いて手続きを済ませた方が早いので、場所を借りることにした、というわけだ。

 公的機関との資料の貸借にかかわるのは初めてだ。借りる側は白い手袋をはめて、慎重に資料をチェックする。写真を撮り、スケッチをする=写真。資料のどこが破れ、穴が開き、しみがあるか。「原状」を把握して借り、「原状」のまま返す――そのための作業はまるで警察の鑑識のようだった。展覧会はこうして、空気がピーンと張りつめたような、水面下の作業の連続の上に成り立っているものなのか。

「みみづく」は表紙から本紙がはみ出している。裁断ミスだ。そのうえ、親指の爪の先ほどの裁断くずが付いている。そんな紙屑があると、かえって神経を使うのではないか――そう思って、「取ってしまおうか」と旧知の学芸員女史に言うと、たしなめられた。

 90年前の手抜き、あるいは未熟な裁断の結果の紙屑だ。そこまで含めて資料価値があるとは思えない。借用書とスケッチのコピーが手元にある。それを見ながら、やはり紙屑は私が除去しておけばよかった、と思った。

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