2014年10月22日水曜日

捕虜と松のツリー

 吉野せいの短編集『洟をたらした神』に「麦と松のツリーと」がある。終戦前年の師走の暮れ、夫の三野混沌(吉野義也)とせいが菊竹山の畑で麦踏みをしていると、炭鉱の捕虜収容所通訳Nさんと捕虜の若い白人が現れた。

 Nさんが言う。「この辺に樅の木はないかねぇ」。混沌「樅はねえなあ、松の木ならどうだ」。Nさんと若者は松林の中に入り、クリスマスツリー用に「ひねくれた一間ばかりのみすぼらしい芯どまりの松」を取ってくる。およそ1.8メートル、ツリーには手ごろな長さだ。

 その松かどうか、クリスマスツリーの前に居並ぶ捕虜たちの写真が、古河好間炭鉱の捕虜収容所の実態について調べたPOW研究会・笹本妙子さんのレポートに載っている=写真。Nさんは混沌のいとこだということも、レポートで知った。

 昨夜(10月21日)、好間公民館で市民講座「好間学」の2回目が開かれた。昨年、「山村暮鳥と菊竹山」と題してしゃべった縁で、今年はその続きとして「吉野せい、そして三野混沌・猪狩満直」と題して話した。笹本レポートを紹介するなかで松のツリーも取り上げた。

 笹本さんの調査レポートはネットから入手した。捕虜になった側の英文レポート、体験記などもネットから拾えるという。いわき地域学會の若い仲間から教えられた。「いわき文献案内」に“収蔵”されている。
 
ネットをうまく利用すれば、いながらにして、瞬時に、必要な情報(文献)が入手できる。文献渉猟は今や想像力と検索技術次第。地球の裏側も、表もない。半分アナログ・半分デジタルの人間でも、仲間の力を借りれば、今まで思いもよらなかったような視点から調べを進めることができる。

「麦と松のツリーと」に登場する若い白人はどこの国の誰か、その後どこでどんな仕事に就き、どんな人生を送ったのか、などが実証的にわかってくる。やがてそこまで研究が進むにちがいない――。途中でひらめいたことをアドリブで話した。

作品と作者の研究は、既に先人によって本や雑誌の論考としてまとめられている。それをベースに、さらにデジタル社会にふさわしい研究手法を磨けば、作品と作者の読解、理解はより深く、広くなる。その確信を抱いた、楽しい講座になった。

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