2014年12月17日水曜日

「マッサン」と「蛍の光」

朝ドラの「マッサン」が始まった直後、エリーの歌うスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」(唱歌「蛍の光」の原曲)や、「カミング・スルー・ザ・ライ」(同じく「故郷の空」の原曲)に懐かしさを感じたものだ。卒業式で「蛍の光」を歌った世代はみなそうだったのかもしれない。

1カ月前の11月15日にも、エリーが大家の少女らを前に「オールド・ラング・サイン」を歌うシーンがあった=写真。上の少女が庭から摘んだコスモスを継母にプレゼントしながら、「お誕生日おめでとう。……おかあさん」というシーンが続いて、泣かせた。

両方とも、原詩は「スコットランドの国民詩人」ロバート・バーンズ(1759~96年)がつくった。日本では明治時代、原詩とは無関係に曲だけを借りて、「忠君愛国」「勉学励行」などにつながる「徳性の涵養」を目的とした歌詞が付けられた。いわゆる「文部省唱歌」だ。

「オールド・ラング・サイン」は友との再会を喜ぶ歌だが、日本では別れの歌の「蛍の光」になった。「カミング・スルー・ザ・ライ」も、もとは春歌なのに、日本では♪夕空晴れて秋風吹く……のうるわしい「故郷の空」に変わった。

それはさておき、いわきの「農民詩人」三野混沌(1894~1970年)は若いころ、開拓小屋にバーンズの肖像を飾っていた。盟友の猪狩満直(1898~1938年)もバーンズの詩に親しみ、肖像を模写した。バーンズは貧農の家に生まれた「農民詩人」でもあった。同じ道をゆく大先輩への敬慕がそうさせたのだろうか。

野口雨情(1882~1945年)も若いころ、バーンズに親しんだ。「己の家」という連作詩の<一 その頃>に「己は日暮方になると/裏の田圃の中に立つて/バーンズの詩の純朴に微笑んでゐた」とある。

明治26(1893)年には夏目漱石が「英国詩人の天地山川に対する観念」と題する講演をし、その原稿を「哲学雑誌」に連載している。漱石が特記したのはバーンズとワーズワースだった。国木田独歩も、輪読会でバーンズの詩を講じたりしたという。(ドナルド・キーン著『日本文学の歴史11』中央公論社、木村正俊・照山顕人編『ロバート・バーンズ スコットランドの国民詩人』晶文社)

「マッサン」とスコットランド民謡からバーンズへ、バーンズから雨情・混沌・満直へと連想が連想を呼んで確かめたら、唱歌を契機に、明治半ばから大正にかけてバーンズが日本に受け入れられ、片田舎の磐城平地方にも波及した、という流れがわかった。

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