2014年12月27日土曜日

古本屋のおやじさん

 フェイスブック経由で息子さんから“知らせ”が届いた。「昨日、父が亡くなりました」。入院しているとは聞いていた。震災前、いわきの総合雑誌「うえいぶ」で里見庫男さんの追悼特集を組んだ。そのとき、編集者として電話で原稿の話をしたのが最後になった。古本屋「平読書クラブ」のおやじさんだ。12月25日没、86歳。

 18歳の高専生だったころ、初めておやじさんの店を利用した。以来、結婚するまで本を売ったり、買ったりした。おばさん(奥さん)が店番のときは、内心「しまった」と思ったものだ。本の査定がおやじさんより厳しい。

 やがて東京へ飛び出し、22歳でJターンし、古本屋から2~3軒隣の新聞社に入った。昼休みには店に寄っておやじさんと雑談するのが日課になった。その2階にあった商業デザイン事務所の女性と結婚し、古本屋が古ぼけた木造の家からよそにビルを建てて移転してからは、足が遠のいた。街でばったりおばさんに会って、あいさつする程度になった。

 おやじさんもおばさんも、私の名前を勝手に音読みして「リュウジ君」と呼ぶ。「違います」とはいえずに、そのまま50年近くが過ぎた。きのう(12月26日)、おばさんに会ったときもやはり「リュウジ君」だった。
 
 古本屋には郷土資料が集まる。買い取る人がいないと、資料は市外に流出する。亡くなった里見さん(地理)、佐藤孝徳さん(歴史)は、その買い取り役だった。2人はおやじさんの店で出会ったのではないか。同じ買い取り仲間の小野一雄さん(歴史)からも昨夜、メールで知らせが届いた。55年のつきあいだったという。

 震災時の店の様子を「日本古書通信」2012年5月号が詳報している=写真。インターネットで古本屋を始めた若い仲間が、女性編集者を伴ってわが家へやって来た。その縁で雑誌が送られてきた。編集者が「震災後1年レポート」と題して、6月号と合わせて福島・宮城の古本屋の様子をルポした。

 おやじさんが体調を崩してからは、おばさんがネット販売に絞って営業を続けている。そのさなかの大地震だった。「本棚は倒れ店はめちゃくちゃ、建物は大規模半壊でした」「震災前に準備してあった古書目録を5月に発送しましたら、沢山の注文と励ましをいただきました。本のありかがわからなくなってしまって閉口しながらも、ネット販売も6月には再開しました」

 通夜・告別式は新年の松が明けてから。きょう、火葬されるので、会って別れをいわねばと、おばさんに連絡し、おやじさんのそばで小一時間、思い出話にふけった。やはり、大地震のときの話になった。18歳で売って、22歳で買い戻した本がある。古本屋は貧乏な若者には質屋のようなものだった――そんな話をおやじさんは黙って聞いていた。

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

父の話が載っていることに、嬉しさを感じます。
田町に店があった頃の記憶は、いわき民報社の火事と対面のひかり座が遊び場だったこと、並木通りがまだ舗装されておらず、馬車が走っていたことでしょうか。