2014年12月4日木曜日

関東都市学会

 関東都市学会の秋季大会が11月29、30日といわき市を中心に開かれた。初日はいわき市生涯学習プラザでシンポジウム=写真=を、2日目はいわき市の沿岸部~双葉郡富岡町のコースで巡検を実施した。いわき地域学會が後援したので、シンポジウムを聴き、懇親会に加わった。

 シンポジウムのテーマは「いわきの震災復興と<都市>形成――地域開発の歴史を踏まえて」。3年前、東京でのシャプラニールがらみの集まりで知り合った若い女性研究者が、指導教授とともに企画・準備をした。彼女は早稲田の文学研究科博士後期課程に在籍し、2012年9月からはいわき明星大の客員研究員を務めている。わが家にも2、3回、情報収集にやって来た。

 報告者の1人は地域学會の仲間の小宅幸一さんで、3・11当時はいわき市勿来支所長だった。いわき市のシンクタンク、いわき未来づくりセンター所長時代に『いわき市の合併と都市機能の変遷』を手がけ、定年退職後は市広報広聴課嘱託として『東日本大震災・いわき市からの証言と記録』をまとめた。

 シンポの内容は省略するが、関東都市学会が「東北・いわき」で大会を開いたのにはワケがあるようだ。

 明治になると、いわき地方から首都圏に石炭が送りだされるようになる。高度経済成長時代から今度の震災までは、同様にいわきの北・双葉郡の原発から電気が送り続けられた。福島県は、いわきは、浜通りは関東のエネルギー供給基地――「いわき・双葉郡あっての関東圏」という現実を、社会学者が中心の関東都市学会としても再認識する契機になったのではないか。

 質疑応答のなかで、小宅さんが震災・原発事故に対するいわき市民の反応の違いを語った。北と南では原発事故に対する危機感が違う、津波被害についても沿岸部と内陸部では温度差がある――。

 そのうえ、いわき市は①被災自治体②避難者受け入れ自治体③復興拠点――としての重層性を抱えている(若い研究者による「解題」)。この問題については、いわき市復興支援室・寺島範行さんの報告がとても参考になった。
 
 懇親会で旧知の教授からうながされたので、小宅さんの話を補強するかたちで「いわきは3極3層のまち」という話をした。いわきは大きく夏井川・藤原川・鮫川の3流域に分けられる。それぞれに人口集中地区がある(3極)。その流域ごとにハマ・マチ・ヤマがある(3層)。広域都市ゆえの地域差・温度差、多様性を「見える化」したかったのだが、どこまでわかってもらえたか。
 
 いずれにしても、いわきは「東北・いわき」であると同時に「関東・いわき」でもある。関東都市学会のメンバーに、そのことが深く刻印されればいわき開催の意義があった――と、これは門外漢の感想だ。

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