2014年12月8日月曜日

「釜じい」の一日

 きのう(12月7日)、カミサンの実家(米屋)でもちつきの手伝いをした。もちつきといっても、もちは機械がつくる。お得意さんや親類に贈る「歳暮」だ。杵(きね)と臼(うす)でペッタン、ペッタンやっていたのでは間に合わない。

 もち米を蒸籠(せいろ)に入れてふかす火の番をした。おととしは体調不良で、去年は用事があって休んだが、師走恒例の「釜じい」だ。

 ドラム缶を3分の2に切ったかまどに釜をかけ、その上に蒸籠を3段に重ねる。蒸籠のなかにはもち米が入っている。釜の水を沸騰させ、蒸気を蒸籠に通してもち米をふかす。いいあんばいになったもち米を電気もちつき器に入れて、白もちや豆もち、のりもちにする――。

 朝から夕方まで釜の前に陣取り、ただただ火を見つめ、ときどき釜に水を足して、かまどにたきぎを入れ続けた。膝あたりが熱せられて痛くなり、顔が“火焼け”した。
 
 蒸籠釜は蒸気を利用する。その点では、蒸気機関車や原発と変わらない。震災前までは、かまどの火の奥に蒸気機関車が見え、震災後は原発がちらつくようになった。

 震災の年の師走、釜の水が減って「空焚き」になりかけた。釜の底がとろけて落ちるところだった。火の番は水の番でもあった。その釜の連想で、27年前に54歳で亡くなったいわきの高校教諭吉田信さんの「チェルノブイリ原発事故に寄せて」と題する詩が思い浮かんだ。最終部を記す。

 <地獄の釜のふたが飛んだ/一度目はスリーマイル島でおずおずと//二度目はチェルノブイリでかなり派手に//三度目は何処でどんな具合にはじけることだろう/一九八六・五・五>。
 
 三度目はこの詩が書かれた25年後、今から3年9カ月前に起きた。いわきのすぐ隣の郡で。
 
 家に帰って茶の間で休んでいると、ほのかにきな臭いにおいがした。

0 件のコメント: