2015年1月19日月曜日

“復興糠漬け”

 きのう(1月18日)の日曜日、小名浜で用事をすませたあと、海寄りのルートで帰宅した。途中、15日に本オープンした豊間復興商店街「とよマルシェ」へ寄った。

 冷たい西風が吹きつけていた。トイレを借りている間にカミサンの姿が消えた。足踏みしながら外に立っていると、「ベジタブルShiGA」から顔を出した。野菜を買ったあと、店の経営者やそのお母さんと話をしていた。お母さんがコーヒーを出してくれた。

 国際NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」が震災直後、初めて国内支援に入った。いわきに拠点を定めて津波被災者や原発避難者の緊急支援、生活支援活動を展開した。今も平で交流スペース「ぶらっと」を運営している。

 震災から2カ月近くたったころ、シャプラは緊急支援から生活支援へと活動の中身を切り替えた。アパートなどの一時借り上げ住宅に入居している世帯を対象に、調理器具セットの無料配布を行った。7月末までに950セットを配った。

 シャプラのいわき連絡会を引きうけているカミサンが、スタッフとともに初日に配ったなかに、豊間で牛乳製造業を営んでいた志賀さん母子がいた。息子さんに会って調理器具セットを渡した。酒を飲んでいるようだった。

 大災害のあとの一家の大黒柱の心情はどんなものか。私の少年時代の経験だが、大火事で家が類焼したあと、父親が制度資金を借りて家を再建した。借金が重くのしかかったためか、夜になると酒を飲んで荒れた。突然、家を流され、仕事を失ったハマの人も、ふるさとを追われた双葉郡の人も、未曽有の災厄に押しつぶされそうになっていた。息子さんの失意がわかるような気がした。
 
 豊間の災害公営住宅ができると、内陸のアパートから引っ越した。その近くに住宅向けの復興商店街ができた。息子さんが八百屋を始めたのは、やがて牛乳製造を再開するためでもある。カミサンが調理器具セットを届けたときの印象をいうと、「今は飲んでいないですよ」といっていたそうだ。

 それより、私にはお母さんの話が面白かった。パック入りの漬物に「自家製漬物」とあったので、聞くと「私がつくるの」という。「漬物おばさん」で通っている、ということだった。糠漬けと白菜漬け、それに具だくさんの創作漬物を買った=写真。

「糠漬けは冬もつくってるんですか」と私。「そう。前は27年間、同じ樽(たる)3つでつくってたの」。その糠床も津波に流された。いのち以外、みんな流された。「すると、この糠漬けは新しい糠床で、ですよね」「そう、3、4年前からやってるの」「お母さんは糠床から復興を始めたんだ」

 暮らしの中で真っ先に“復興糠漬け”を始めた85歳のお母さんの元気が、息子さんの背中を押したのではないだろうか。

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