2015年2月14日土曜日

台湾再訪⑤医学衛生の父

 現いわき市渡辺町出身の医学者高木友枝(1858~1943年)は、台湾では「医学衛生の父」と呼ばれる。
 いわき地域学會が編集し、いわき市が発行した『いわきの人物誌(下)』(1993年)で、戦前~戦中、若くして渡辺村の村政を担った高木善枝(1903~68年)が紹介されている。友枝は善枝の祖父直枝の弟だ。生家の孫の世代の跡取りも立派な人物だが、その大叔父も国を超えて評価される人物だった。

 田口文章北里大名誉教授のエッセー「暮らしと微生物」によると、友枝はペスト菌を発見した北里柴三郎の一番弟子で、師の指示で日本が統治していた台湾に渡り、伝染病の調査や防疫など公衆衛生的な仕事に尽力した。

 総督府医院長兼医学校長、総督府研究所長などを務めたほか、明石元二郎総督時代には台湾電力会社の創立にかかわり、社長に就いた。

 もともとは細菌学者である。ある研究レポートによると、畑違いの電力会社に関係したのは「人間関係の調整能力」を買われて、だった。田口名誉教授は、それとは別の見方を示す。マラリア研究の権威でもあった友枝は、「衛生状態の改善には経済的な発展が必要」と考え、みずから社長になって台湾電力を創設した。
 
 要するに、公衆衛生の官僚・学者としても、人間としても高い評価を得ていた、ということだろう。
 
 台湾電力会社が最初に手がけたのは、台湾中部の湖・日月潭を利用した水力発電だった。(以下は漢文のブログ=日本語に自動翻訳されたもの=などを読んで見えてきたことなので、まちがっていたらごめんなさい)
 
 日本が建設した水力発電所は、今は「大観発電所」と呼ばれる。日月潭を天然ダム湖とし、上流の山陰を流れる濁水渓からトンネルで日月潭に導水した。湖の水深はそれで最深6メートルから27メートルになった。この湖は人工的に深く、大きくなったのだ。
 
 発電用の水は、湖からさらに低地の濁水渓の支流・水里渓に設けられた発電所へと、導水トンネルを伝って流下する。その発電所から送電線と鉄塔が台湾の西側に張り巡らされている。
 
 日月潭へと濁水渓沿いをさかのぼっていったとき、送電鉄塔に出くわした=写真。ときどきいわきの山里に出かけ、東電の1F・2Fからの送電鉄塔を眺める身には、台湾電力の送電鉄塔は小さくとも大きな物語を秘めている、と思われた。

台湾の初期の電気事業は種々の困難をのりこえ、長い時間と莫大な費用をかけて完成した。友枝がその創設にかかわったからこそ、この鉄塔も送電線もある――そんな思いでパチリとやった。

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