2015年2月17日火曜日

趣味?いや暮らし

 福島民報の共同配信連載記事「夢追い人は…原発よ」がきのう(2月16日)、7回で終わった。「反原発」県議から「原発増設」町長に「転向」した双葉町の故岩本忠夫さんの軌跡を追った。
 最終回、岩本さんに誘われて反原発運動にかかわった葛尾村の元郵便局員小島力さん(79)の話が載った。いわき市から葛尾村へ行くには、田村市都路町で国道288号から同399号へと右折する=写真。震災前の2008年秋に40人余のグループで出かけたことがある。今はまだ全村避難中だ。小島さんも東京のアパートに奥さんと住む。詩人でもある。

 記事で講演会でのエピソードが紹介された。「『春は山菜採り、秋になればキノコ。村では毎日のように山に入っていた』。講演会でそう話したら『趣味』と受け止められた。『そうではない。それが暮らしそのものだったのです』」。都会の人間は結局、山里の暮らしを理解できないのだろうか――「趣味」の文字に引っかかって、先に進めなくなった。

 主に双葉郡の人たちは着の身着のままで避難した日から、土をいじり、山野の恵みを取り入れる暮らしを断ち切られた。

 身のまわりの自然にある山菜やキノコは暮らしを彩り、支える食材であって、「趣味」で採りに行くものではない。むろん楽しみもあるが、暮らしのための「仕事」として採りに行くといった方が正確だ。福島県で原発事故関連死が多いのは、この自然とかかわる楽しみ、生きがいが奪われたこともあるのではないか。

 山里に住むお年寄りの元気のもとは単純だ。毎日、畑仕事をする。周囲の自然から季節の恵みをいただき、加工し、保存する。子や孫にその恵みを分けてやる。秋のマツタケやコウタケは現金に換えられる。自給自足とまではいかなくとも、毎日、雑仕事に精を出して、つつがなく暮らしてきた。少なくとも原発事故が起きるまでは。
 
 記事では、小島さんの詩も紹介されていた。「当たり前の暮らしが/当たり前であった安らぎは/当たり前の暮らしが/当たり前であった愛(いと)おしさは/失(な)くしてしまった後でしか/気付けないものなのであろうか」
 
 電気・ガス・交通・流通その他、巨大システムに身をゆだね、自然と向き合わずにすむ都会の、カネさえあればマツタケが手に入る消費者の想像力で「趣味の話でしょう」と片づけてしまったのでは、永遠に避難者の内面には寄り添えない。
 
 6行の短詩は、春にはワラビやフキノトウを摘み、夏にはイワナを釣り、秋にはキノコやアケビを採り、冬には猟をする――そういった当たり前の暮らしの喪失をうたう。賠償金をいくらもらっても、生活、いや生存の基盤が失われた身には、未来は見えないのだ。

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