2015年3月25日水曜日

豊間の夜

 東京からいわきリピーターの4人がやって来た。1人とは1カ月ぶりの再会だ。ほかの人も半年ぶり、1年ぶりだろうか。
 私ら夫婦には半年ぶりの豊間の夜だった。連休初日の3月21日(春分の日)。旧知の大工氏の作業所で飲み会が開かれた。いつものことだが、空きスペースが居酒屋に化けた=写真。

 車で行ったので、ノンアルコールで付き合った。最初の30分ほどは、のどが刺激されて酔ったつもりになった。が、頭は醒めたままだ。時間がたつにつれて飲むのにあきてきた。ノンアルは、長時間はダメだと知った。

 大工氏の自宅は地震と津波で「全壊」の判定を受けた。で、内陸部の借り上げ住宅に住み、毎日、自分の家の作業所に通う。その隣にある知人の家が4人の宿になった。前回もそうだった。

 豊間は、沿岸の集落がほぼ消えた。大工氏や隣の知人の家の前に大きな病院があり、それが“防波堤”の役目を果たしたらしい。そのあたりだけ家が残った。

 3・11直後、国際NGOの「シャプラニール=市民による海外協力の会」がいわきで緊急支援活動を始めた。それが、今の「豊間の夜」につながる。私ら夫婦もシャプラニールの縁、大工氏の縁で、東京と豊間に新しい友達ができた。東京の友達はすっかりいわきリピーターになった。

 最初は被災者―支援者の関係だったかもしれないが、今は昔からの友達のような関係に変わった。もしかしたら、それがほんとうの支援なのかもしれない――飲んでものんでも酔えない頭で、そんなことを考えた。

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