2015年3月4日水曜日

「原発避難のいま」

 日曜日(3月1日)にいわき明星大で、公開講演会「はまどおりのきおく3 原発避難のいま」が開かれた。企画・準備を進めた同大震災アーカイブ室のスタッフに知り合いがいて、応援を兼ねて出かけた。
 講師はNPO法人「浅見川ゆめ会議」事務局長賀沢正、「富岡インサイド/相双ボランティア」主宰平山勉、「いわき・まごころ双葉会」事務局長大橋庸一さんの3人。

 双葉町の大橋さんに覚えがあった。国際NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」が震災後、いわきに交流サロン「ぶらっと」を開設した。いわき駅前のラトブから始まり、イトーヨーカドー平店を経て、今はスカイストアに間借りしている。ヨーカドーのころ、スタッフに大橋さんを紹介された。そのあとは会っていないので、すっかり忘れていた。

 賀沢さんは震災時、広野町の職員だった。広野町が原発避難をした経緯を話した。今、取り組んでいるNPOの活動にも触れた。平山さんは富岡町の人で、自分たちが行っている活動を報告した。富岡には引っ越し業者が入らない、レンタカーも断られる――ボランティア団体がそれを代行している、ということだった。

 大橋さんの話はコミュニティーの消滅・再生にかかわることだった。事故を起こした1Fのすぐ近く、「細谷行政区」の区長だった。

 3・11当日の夜から避難を始め、今はいわき市の借り上げ住宅に住む。半年をかけて避難区民の消息を確かめた。ハワイアンズのフラガールリーダー・モアナ梨江さんも細谷の出身だ。ハワイアンズで細谷区民の交流会を開いたとき、彼女もサプライズで記念撮影に加わった。いわきでは、孤立しやすい借り上げ入居者を主に、双葉町民のコミュニティー再生のために奮闘している。

 帰還困難区域のふるさとは中間貯蔵施設の予定地になっている、という。ふるさとへ帰れる日はくるのだろうか。

 大橋さんが講演中に紹介した写真のうち、2枚に自作の俳句、短歌が挿入されていた。一時帰宅時にジャングルのように茂った庭木のありようを見て詠んだ「緑なす我が家は遠く遥かなり」=写真=と、わが家から西にそびえる山と向き合って詠んだ「帰宅時に凛とたたずむ阿武隈の嶺なつかしく時間(とき)が流れる」。温顔の内側にこもる叫びがあふれでてくるようだった

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