2015年4月28日火曜日

続・ネパール大地震

 インド料理の店「マユール」のオーナーシェフはネパールの出身。きのう(4月27日)朝、奥さんからコメの注文があったので、カミサンがネパールの様子を聞いたら、ご主人がたまたまネパールに帰国していて大地震に遭遇し、けがをしたという。
 ご主人はインドで行われた結婚式に出席し、その足でネパールへ帰った。「きょう、日本へ戻ってくる」ということだったから、もう帰宅したことだろう。

「マユール」は、月曜日が定休日。奥さんの話を聞くことはできなかったが、電話では「店に箱を置いて義援金を募りたい。それをシャプラニールに届けたい」ということだった。新聞が写真で惨状を特集している=写真。きのうも書いたが、ヒトゴトではない。

 国際NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」は、主にバングラデシュ、ネパールで「取り残された人々」の支援活動を展開している。駐在員もいる。3・11後、いわき市に交流スペース「ぶらっと」を開設した。今度の大地震でも緊急支援活動を始めた。

 きのう、マユールにコメを届けたあと、新舞子海岸経由で道の駅よつくら港へ行き、野菜や漬物などを買った。わが家にとっては食べ物を調達できる「スーパー」のひとつだ。

「マユール」は新舞子海岸にあった。あの日、大津波に襲われた。建物の骨格は残ったものの、店内は破壊された。幸い人的被害はなかった。その後、奥さんの実家の一角に店をつくり、営業を再開した。

その「津波遺構」が、きのう見たら消えて更地になっていた。道の駅も同じように津波に襲われたが、今はにぎわいが戻っている。いや、3・11前より繁昌している(と思う)。

 そうだ、いわき市の東日本国際大にもネパールからの留学生がいる。3・11後、ホームビジットでネパールの青年を受け入れたことがある。シャプラの活動、ホームビジットを通じて、少しはネパールが「近い国」になっていた。

 けさ、フエイスブックでシャプラのネパール駐在員の現地レポートを読んだ。「病院にけが人があふれている」「今も突き上げるような余震がある」。ニュースでも、死者は4000人以上と、日を追うごとに増えている。3・11と同じではないか――そんな思いが募った。

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