2015年4月3日金曜日

一具の短冊

 わが家の床の間に、幕末の俳僧一具庵一具(1781~1853年)の短冊がかかっている=写真。初代のいわき地域学會代表幹事・故里見庫男さんから、研究材料にと贈られた軸物のひとつだ。1カ月ちょっと前、正月の縁起物から春らしいものにと、カミサンが替えた。
 俳句は門外漢だが、幕末の俳人のつながりに興味があって、一具を中心にした「俳諧ネットワーク」を調べている。その一具は出羽国で生まれ、磐城山崎村の専称寺で修行を重ねたあと、幕末の江戸で俳諧師として鳴らした。
 
 專称寺はそのころ、浄土宗の奥州総本山、そして同宗名越(なごえ)派の檀林(大学)だった。東北各地からやって来た修行僧が、今は梅林になっている中腹の平地に建てられた寮舎で寝起きしながら勉強した。
 
 短冊には「婿(むこ)もやゝなじみて庭の接木哉(かな)」とある。「接木」は春の季語。

 生地の山形県村山市で発刊された『俳人一具全集』(昭和41年)には、「婿もはやなじみて庭に接穂哉」が収録され、類似句として「婿もやゝなじみて庭の接穂哉」「聟もやゝなじみて庭の接木哉」が載る。

短冊は類似句の両方を合体したようなものだ。「婿」と「聟」、「接穂」と「接木」――そのへんはゆるやかなものだったのだろう。「婿」についても「はや」と器用で飲みこみの早い様子をうたったり、「やゝ」と鈍重さを強調したりして、一具自身が揺れている。

 季語の「接木」を検索したら、たまたまソメイヨシノも接木によって全国に広まったことがわかった。ソメイヨシノは幕末に開発された園芸品種で、明治になって日清・日露の「戦勝桜」として全国に植えられたという。
 
 一具が亡くなったのは黒船が来航した年の晩秋。ソメイヨシノが開発される時代と重なるが、この桜はまだ一般的ではなかったろう。句に詠まれたのは普通の接木、たとえばシャクヤクにボタンを接ぐ、といったことではなかったか。

 それはさておき、4月の声とともにいわきのマチにも桜前線が到達した。6日には、ソメイヨシノが満開のなか、小中学校の入学式が行われる。里見さんは6年前のその日に亡くなった。短冊からそんなことにも思いが及んだ。

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