2015年5月14日木曜日

年下の“戦友”の死

 きのう(5月13日)の昼、知人から電話がかかってきた。Nクンが亡くなったらしい、という。Nクンは昔からつきあいのある鍼灸(しんきゅう)マッサージ師だ。すぐ好間の自宅へ車を飛ばした。東京に住むという弟さんが応対してくれた。
 Nクンの死が現実になった。「顔を見てやってください」。焼香したあと、白布をとって額に張りついていた前髪を元に戻した。冷たく、ものいわぬ仏になっていた。私より一回り以上も下の、まだ53歳だ。

 Nクンは内郷に治療院を構えていた。しかし、出張してマッサージをすることが多かった。おととい午後は、自宅近くの家に行く予定になっていた。約束をたがえたことのないNクンが、時間を過ぎても現れない。患者さんがNクンの自宅を訪ねると、庭の一角に倒れていた。心筋梗塞らしい、ということだった。

 Nクンは、わが家の近く、カミサンの伯父(故人)の家を借りて治療院を開いていたことがある。内郷へ移ってからは、出張マッサージの帰路、わが家へ寄ってよくカミサンと話をしていた。

 3・11のときには四倉で出張マッサージをしていた。大地震に続いて津波が押し寄せた。患者のおばあさんを車に乗せて避難し、わが家を経由して近くの公民館へ向かった。その足でまたわが家へ来て、毛布を持って行った。カミサンがおにぎりを渡した。

 国際NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」がいわきで緊急救援活動を行い、やがて交流スペース「ぶらっと」を開設・運営すると、彼も手を挙げて「健康運動教室」を開いた

 主に借り上げ住宅に入居した地震・津波被災者や原発避難者が教室に通い、しこった心身をほぐした。後発ながら、たちまち「ぶらっと」一番の人気教室になった。「ぶらっと」が今のスカイストアに移ってからはサークル化し、斜め前にあるティーワンビルのいわき生涯学習プラザを会場に、おばさんたちが毎週楽しく体を動かしている。
 
 2年前の2013年8月、平七夕まつり最終日に開かれる「いわきおどり大会」では、東京からのツアー客も加え、「ぶらっと」利用者、ボランティア、スタッフらがいわき駅前の大通りを踊り歩いた。Nクンはひとりカラフルなキャップ(かつら?)をかぶって先頭に立った=写真。
 
 彼の家の近くに詩人三野混沌(吉野義也)と作家吉野せい夫妻が開墾した土地がある。息子さんが家に戻ってきたために、荒れた土地がよみがえった。「吉野さんの土地がきれいになったね」「ええ、それで自分ちの庭が気になって」。4月中旬、わが家へやって来たNクンとそんな話をしたのが最後になった。
 
 独り身で忙しく動き回る日々。庭をきれいにするひまはない。が、少し草を刈り、木の枝を剪定したあとがあった。やり残したことがいっぱいあるじゃないか――「ぶらっと」の“戦友”の早い死に無常を感じつつ、葬家をあとにした。

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