2015年5月18日月曜日

運動会のはしご

 土曜日(5月16日)の朝6時、花火が打ち上げられた。地元の小学校の運動会が予定通り開かれる。と思ったとたん、霧のような雨が降りてきた。やがて本降りになった。
 時間になっても、わが家の前の歩道(通学路)を通る子どもたちがいない。「花火が上がったからやるんじゃないの」「登校しないもの、やらないわよ」。リアルな見方をする人の方が正解だった。学校から保護者への連絡網を通じて、「順延」がすぐ伝わったのだろう。

 日曜日は早朝、曇りで明けた。それがだんだんと晴れになり、気温が上昇した。絶好の運動会日和になった。登校時間になると、外を行く元気な声が茶の間に伝わってきた。

 学区内の区長や民生委員に運動会の招待状が届く。開会式に顔を出した。隣の小学校でも同じように、順延の運動会が開かれた=写真。そちらの学校には孫(2年生)が通っている。車で運動会をはしごした。

 行きつけの魚屋さんの駐車場に車を止めた。去年もそうした。今年はまだ店のシャッターが閉まっていたので、夕方、カツオの刺し身を買いに行ったときに「無断駐車」をいおうと思ったが、たまたま2階から若だんなが顔を出した。車を指さし、学校の方を指さすとうなずいた。

 保育所の運動会はまだしも、小学校の運動会はその他大勢の1人になって、どこに孫がいるかわからない。入退場門のそばで見つけてもすましている。夕方、「カツ刺し」を買いに行って若だんなにその話をすると、「大人になったんですよ」。

 たしかに、1年生のとき以上に学校生活に慣れ、楽しんではいるようだ。2年生だ、という思いもあるからこそ、ジイジとバアバに声をかけられても、頭をなでられても無視、と決めているのだろう。

 家に来ればからみついて「ハゲタマ―」と頭をペタペタやる孫が、運動会では「白勝て」「赤勝て」と集中している。小学校という「社会」のなかでそれぞれが独立した「個人」として、「大人」として振る舞うのは当然か。

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