2015年6月20日土曜日

いわきの最初の震災詠

 新聞に、定期的に読者の俳句や短歌が載る。朝日の場合は月曜日の「朝日俳壇」「朝日歌壇」だ。
 東日本大震災が起きた直後の2011年3月28日付「朝日歌壇」に、<二日目につながりて聞く母の声闇の一夜をしきりに語る><陸地へとあまたの船を押し上げし津波の上を海鳥惑う><原発という声きけば思わるる市井の科学者高木仁三郎>などの震災詠が載った。それはしかし、被災地から離れた土地に住む人たちの作品だった。

 被災者当人の作品が載るのはざっと1カ月後。それからさらに1カ月後の5月16日、いわき市在住読者の俳句<被災地に花人のなき愁いかな>と、短歌<ペットボトルの残り少なき水をもて位牌洗ひぬ瓦礫(がれき)の中に>が目に留まった。
 
 電話やテレビだけでなく、実際に見聞きし、体験したことが考えを深めるうえで大事になる。マスメディアが伝えきれない、一人ひとりの被災者の内面を知る手がかりとして俳句や短歌がある――そんなことを、毎年、若い人に話している。その一例として上掲の作品を紹介する。
 
 なぜ5年目に入った今、それを? 話は日曜日(6月14日)のアリオスパークフェス=写真=にさかのぼる。シャプラニール=市民による海外協力の会が扱っているフェアトレード商品のPRと販売を兼ねて、今年初めてカミサンがシャプラのいわき駐在員らの協力を得て出店した。
 
 来場した高校の同級生をカミサンが見つけた。30年ぶりの再会だった。その延長でゆうべ(6月19日)、家に電話がかかってきた。長い話になった。俳句や短歌のことも話題に上ったようだった。
 
 あとでカミサンがいうには、同級生は俳句を詠む。が、震災直後は短歌を詠んだ。今はまた俳句に戻っている。最初の短歌作品<ペットボトルの……>を「朝日歌壇」に投稿したら、複数の選者が選んだ。年間の優秀作品に贈られる「歌壇賞」にも選ばれた――というから、驚いた。
 
 それ、知ってるぞ、切り抜いておいたもの――。それから、冒頭のような話をし、私がつくった資料を見せた。すると、今度はカミサンが同級生に電話をして、当時の一人の読者の“反応”を伝えたようだった。
 
 この歌に対する選者の評。「小名浜の人、仏壇にあった位牌を瓦礫の中から拾い上げた。飲み水も乏しい中でペットボトルの水で洗う。絆への切実な思いが伝わる」(馬場あき子)
 
 自分自身の体験ではなく、大津波で壊滅的な被害を受けた豊間方面へ出かけたときの実景を詠んだそうだ。3・11の巨大地震は東北地方の沿岸部に甚大な被害をもたらした。その惨状は五七五では詠みきれない、どうしてもプラス七七がほしいと、無意識のうちにそう思ったから短歌になったのかどうか。一度お会いして話を聞いてみたくなった。

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