2015年6月30日火曜日

続・歯科医の「3・11」

 元いわき市歯科医師会長中里迪彦さんから、『2011年3月11日~5月5日 いわき市の被災状況と歯科医療活動記録』(2012年刊)のコピーをいただいた=写真。ほかに、抜き刷りやパワーポイントでつくった資料なども。
 5月27日夜、いわき市文化センターでミニミニリレー講演会が開かれた。
30年余り前からの歯の主治医でもある中里さんが、「東日本大震災、福島第一原発事故に被災したいわきの現実―地震・津波・原発事故・風評被害の中で」と題して話した。

 ミニミニリレー講演会のときとダブるが、いわきの歯科医師会は震災直後の3月15日から4月3日まで、水道が復旧した市総合保健福祉センターで救急歯科診療を続けた。警察の要請で身元不明遺体の歯の状況を記録し、他県(富山・岐阜・和歌山・大阪)チームによる避難所での巡回診療にも協力した。

 歯科医師会が遺体の歯の調査にかかわったと知ったのは、中里さんと街でバッタリ会ったとき。3・11の話になって、歯科医師会の活動を教えられた。「メディアは報じてなかったですね」「そうなんです」。講演で見た資料のひとつに「新聞・TVで報道されてこなかった」ということばが付されていたが、それは世間に活動が知られていない悔しさの表れでもあったろう。
 
 石井光太著『遺体―震災、津波の果てに』(新潮社、2011年)は、「地震と津波で亡くなった人たちが体育館などの即製遺体安置所に次々に運び込まれていたときの、その作業にかかわった関係者の聞き書きドキュメント」(松岡正剛)で、のちに西田敏行主演で映画化された。
 
 ただひたすら遺体に注目し、医師や歯科医師らにインタビューを続けた「釜石の安置所をめぐる約3週間の出来事」を描く。次はそのひとコマ。
 
「遺体はどれも濡れていたり、湿っていたりしており、艶を失った髪がべっとりと白い皮膚に貼りついている。/しゃがんで顔をのぞき込んでみると、多くの遺体の口や鼻に黒い泥がつまっていた。目蓋の隙間に砂がこびりついていることもある」(釜石医師会長の話)

 無念・無残な死の現実に、いわきの歯科医も直面した。「中里レポート」は警察からの要請と数字だけを淡々と記す。3月18日。平にある市民プールの管理棟に設置された遺体安置所で遺体の身元確認作業に協力。身元不明の遺体29体。歯科医12人が参加した――。遺体確認に関する最初の記述だ。
 
 3月29日以降は、いわき東署からの依頼が続く。巡視船が海上で遺体を収容した、という記述もある。「追記」によると、7月12日まで断続的に身元確認のための歯の調査が続いた。
 
 被災地でなにが起きたのか、どんなことがあったのか――それをできるだけ多く若い人に伝えたい、という思いで、中里さんに資料提供をお願いした。まだまだ知らない、重い現実がある。

0 件のコメント: