2015年7月27日月曜日

松本和利展

 いわき市立美術館で、「神々の彫像 アンコール・ワットへのみち展」とは別に、「ニュー・アート・シーン・イン・いわき 松本和利展」がロビーで開かれている=写真。会期はアンコ―ル展と同じ8月30日まで。 
 松本は旧姓・林。5歳年下で、今年(2015年)、62歳になる。3・11を経験して、四半世紀余り中断していた創作を再開した。2011年の月遅れ盆に、当時勤めていたネクスト情報はましんで個展を開いた。そのときもそうだが、今度も突然、個展の案内状が届いた。本人がわざわざ持参した。
 
 新米記者のころ、平の草野美術ホールで取材をし、若い美術家たちと知り合った。彼はまだ高校生だったかもしれない。高校美術部の卒業展だか、定期的な作品展だったか忘れたが、そこで彼の名前を胸に刻んだ。

「ニュー・アート・シーン・イン・いわき」のために本人がデザインし、美術館が編集・発行したリーフレットの年譜、学芸員による解説を読んで、一気にこの40年余りの、彼とのつきあいがよみがえった。

 高校を出て、短大でデザインを学び、印刷会社に勤めた。その間に、20歳で福島県総合美術展洋画の部で県美術賞を受賞した。社会人になってからは「育児無死グループ展」を開催し、個展を開き、若い美術仲間と「スタジオCELL」を結成した。取材を兼ねて、伴走するように、彼(ら)の活動を見てきた。

「わかる作品」ではない。20歳で県展の美術賞を受賞したときの、いわき民報の記事にこうある。

「いつもは穏やかな好青年だが、絵画のことになると堰を切ったように話すその口振りからは、内に秘めた絵画への情熱がうかがえる。/『わからない作品でも、何度も足を運んで鑑賞しているうち、何か得るものがあるはずです。わかろうとする柔軟な頭脳の持ち主になってほしい』と現代美術を不可解とする人たちへの批判も、熱を込めて語る」

 学芸員が解説の冒頭に引用したこともあって、図書館で記事をコピーして全文を読んでみた。「絵画」を「インスタレーション」に置き換えると、40年以上たった今の作品にも通じる。創作の根底にあるものは変わっていない。

 3・11直後に開いた個展名は「3・11沈む」、そして今度のニュー・アート・シーンは「3・11沈む…浮ぶ…変形した時をサンプリング」だ。大地震・大津波・原発事故と、かつてない災禍を経験して不安や無力感に襲われた。それをはねのけるように創作活動を再開した。すると、今度は重い病気に襲われた。入院中にパソコンで作品をつくった。会社も辞めた。
 
 4年前の「3・11沈む」についての、私の文章の一部――。床を3月のカレンダーに見立てて、そこに沈みこむ紙袋を配した。それが基本。ほかにも、廊下の壁面を利用してドットと数字を組み合わせた紙の作品を掲示したり、照明を落とした部屋に光を放つ作品を配したりと、林君は工夫を凝らしている。震度・線量・死者数・避難日数……。数字の受け止め方は人それぞれだろう。

 今回も、作品の質としては4年前と変わっていない。が、美術館のロビーという大きな空間を埋め尽くした、多様な作品群に息をのんだ。作品との「コミュニケーション」の前に、「バイブレーション」がきた。わからないけどすごいぞ、と体が反応した。

 4年前の創作再開時には「林和利」として作品を発表したが、今回は「松本和利展」になっている。「林和利」から「松本和利」として再生する、という決意と祈りが込められているのかもしれない。

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