2015年8月22日土曜日

10年ぶりの再会

 8月20日午後6時少し前、同級生の車で夏井川に架かる「平神(へいしん)橋」を渡った。6~9時までは流灯花火大会のために車の通行ができない。「この車で通行止めだな」と言いながら進むと、流灯目的の歩行者が橋の上をぞろぞろやって来た=写真。
 たまたまその夜、街で飲み会があった。バス停に立っていると、わが家へ来て用をすませた同級生がわざわざ車を回してきた。帰る方向とは逆だが、送っていくというので、厚意に甘えることにした。

 いわきで在宅ホスピスケアを始め、青森で継続し、今また北海道でシステムの構築を進めている旧知のがん外科医が、いわきの大学へ集中講義にやって来た。いわき時代、海に近い農村の友人宅でときどき一緒に酒を飲んだ。友人から連絡があり、飲み仲間の弁護士を加えて、4人でおしゃべりをした。

 主義・主張は異なっても、それぞれ地域の片隅に生きる人びとのためにプロフェッショナルな知識と技術を生かそうとする姿勢に共感し、誘われると喜んで会い、飲み、話すようにしている。

 ドクターがいわきを離れてから10年。その間に東日本大震災と原発事故が起きた。弁護士は原発訴訟に奮闘している。「人生で今が一番忙しい」。間もなく70歳になる弁護士を筆頭に、友人68歳、私67歳、ドクター63歳。年を重ねるごとにカネにならないことで忙しくなっている。

 飲み会では以前と同様、仕事の話のほかに哲学や文学の話になった。いちいちここでは書かないが、哲学者内山節の思想のこと、作家池波正太郎と藤沢周平との比較、原発事故でキノコを採取する楽しみが奪われたが「キノコ訴訟」は可能かどうか、コミュニティのなかでの孤独死予防と在宅ホスピスケアの連環など、次から次に興味深い話が続いた。

 それぞれ少し体形は変わったものの、やっていることに変わりはない。考え方そのものが揺るがない。「みんな単純だよね、生き方が」というと、「単純かもしれない」と同意した。
 
 人によっては屈折する人生について考えたとき、いつも思い出す詩がある。ウージェーヌ・ギュヴィック(1907~97年)というフランスの詩人の短詩だ。17歳のころ、恩師から借りた訳詩集から書き写した。訳者は忘れた。
 
 生命は増大すると
 ひとがぼくらにいうとき、それは
 女たちの肉体がもっと大きく
 なることではない、木々が
 雲の上に
 そびえはじめることではない、
 ひとが花々の最も小さなものの中へ
 旅行できることではない、
 恋人たちが愛の床に幾日も
 とどまっておれるということではない。
 それはただ単に
 単純に生きることが
 むつかしくなるということだ。

 早朝、仕事があるという友人はウーロン茶で付き合った。授業のあるドクターは一次会でホテルへ帰った。弁護士は飲み足りない、いや話し足りないのか、私を二次会に誘った。着いたところは後輩の店、うまい日本酒を飲ませるところだった。流灯花火大会はとっくに終わっていたが、頭のなかでは花火が鳴り続けていた。

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