2015年9月28日月曜日

「むら祭り」

「むら祭り」の原点を見るような思いだった。マスメディアが取り上げることもない、ディープないわきの地域の、小さな神社の秋祭り。ほんとの「宵」祭りに境内で子どもたちが「花笠踊り」と、大人も加わった「棒使い」=写真=を奉納する。
 去年(2014年)、いわき地域学會の若い仲間がフェイスブックに動画を投稿した。平地ながら小学校の分校があるところ、そしていわきの民俗学の草分け、高木誠一(1887~1955年)が本拠としていた平北神谷(かべや)。白山神社の宵祭りの様子がていねいに紹介されていた。

 小5から「棒使い」に“出演”している仲間の長女が中学生になった。すると大人扱いをされるのか、若衆の青いハッピではなく着物を羽織らないといけない、ということになったらしい。羽織る着物があったら、というので、両親とわが家へやって来た。カミサンが着物をみつくろった。

 わが家は、カミサンが米屋のかたわら、古着のリサイクルステーションのようなこともしている。「使わなくなったから」と衣類を持ってくる人がいる。「欲しいものがないか」と探しに来る人がいる。あらかたは古着リサイクルのNPO「ザ・ピープル」に回される。

 話を聞いたからには、宵祭りの演武を見に行かないと――。わが家から北神谷までは車でおよそ10分。宵祭りの当日、夫婦で出かけた。

6時過ぎ、すでに夜のとばりが降りている。道路沿いの鳥居をくぐり、ところどころ照明のついた石段を何十段か登ると、やや広い境内に出る。外部者には全体が緑で包まれているから、昼間でもそこに神社がある、とはわからない。ネットの地図で参道を確かめた。

 神社の中には地域のリーダーとおぼしき人たち、境内には子どもたちと模擬店を担当するお母さんたち。演武が始まるまで、フランクフルトソーセージとトン汁で小腹を満たした。
 
 司会の紹介もあってわかったのだが、太刀と棒の「棒使い」には小学5年生同士から始まって、母子、父子、いとこ同士、中一同士と、さまざまなペアが出演した。母親も父親も、子どものときに演じて体が覚えている。若い母子はこの日のために首都圏から里帰りして出演したという。

 純粋な観客(部外者)として感じたのは、ここで生まれ育った人たちの郷土愛は、こうした祭りから醸成されるのではないか、ということだった。小さいときから見て、聞いて、参加する祭りでは、みんながスターになる。拍手を浴び、おひねりの雨が降る。まさに一人ひとりが主役の「ハレの日」だ。土地の伝統芸能のすごさだ。

 実際、見上げると、木々の黒い葉影越しに十四夜のまん丸い月が輝いていた。日中は雨がぱらついた。宵には晴れて、お月さんまで子どもたちを祝福した。

 双葉郡楢葉町で家を流され、両親も流されたという人がいた。避難先の北神谷で一人住まいをしているということだった。北神谷には大熊町から避難してきた人もいる。農村部には農村部の風習・しきたりがある。郷に入れば郷に従え――である。知り合いの子が出演するので見に来たそうだ。私らも同じだ。最初に仲間の次女が出演し、やがて着物を羽織った長女が出演した。

 そうだ、大震災直後、断水したために、ここ北神谷の仲間の家まで井戸水をもらいに来た。それを思い出した。カミサンが賽銭箱に小銭を投じた。

白山さまは稲作のための水を供給する山の神、とネットにあった。今年はすでに稲刈りが始まった。農村部は「水社会」でもある。祭りは、むら=地域共同体としての結束の固さを再確認する場、ともいえるのだろう。

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