2015年9月7日月曜日

死者とつながる本

 いわき湯本温泉のしにせ旅館・古滝屋の社史が刊行された。ブックレットのような、しゃれた感覚でまとめられている。現当主の里見喜生さんによれば、いわきの若いライターらが文を書き、編集を手がけた。
 いわき地域学會の初代代表幹事・故里見庫男さんは古滝屋の先代社長。その縁で社史に文章を頼まれた。古滝屋には「江戸十番」という名の飲み食いどころがあった。月例で飲み会が開かれた。里見さんがみずから幹事役を引き受けた。貴重な異業種交流の場だったことを、里見さんの死後、痛感した。そのことを書いた。一種のコラムで、1ページの依頼が見開き2ページになった。

 里見さんの専門は自然地理学。地形学の恩師と磐越東線の船引駅で待ち合わせ、阿武隈高地の片曽根山と移ケ岳に同行したあたりが、ライフワークの原点らしい。この二つの山を、私は中学を卒業するまで毎日、眺めながら暮らした。里見さんの「あぶくま愛」が今も私のなかで残響している。

 創業320年に及ぶしにせ旅館の社史は、その意味では、私にとっては「死者とつながる本」だ。

「死者とつながる本」はほかにもある。岩手の陸前高田市で生まれ育ち、いわき市で画家として死んだ松田松雄(1937~2001年)の『四角との対話』が電子書籍になった。発売されたばかりだという。
 
 36年前の昭和54(1979)年、夕刊いわき民報に「四角との対話」という題で1年間、週1回連載し、画家としての内面の軌跡を吐露した「私小説的美術論」だ。その切り抜きが先日、出てきた。松田が新聞社に出稿する前、担当ではなかったが、個人的に彼と対話しながら原稿の「事前校正」をした。
 
 36年後の今年(2015年)、切り抜きを参照しながら電子書籍の「事前校正」をした。娘の文さんに頼まれて、「あとがき」と書籍PR用のコピーも書いた。オンデマンドで紙本出版も行われる。
 
 そしてもうひとつ、草野健さん=写真(2008年4月、ギャラリー界隈での阿部幸洋展会場で当時90歳)=の遺稿集が3回忌に合わせて、命日の9月20日に刊行される。これも「死者とつながる本」だ。先日、息子のカズマロ君から手紙が来た。「あとがき」代わりに私の弔辞を掲載するので了承を――ということだった。否やはない。
 
 草野健さん、いや「おっちゃん」は昭和40年代のいわきの美術シーンをリードした「草野美術ホール」のオーナーだった。ここで私は松田と出会い、今はスペインにいる阿部や、画家の山野辺日出男、陶芸家の緑川兄弟らを知った。同ホールは一種の「梁山泊」で、そこから市民運動の種がまかれ、現代美術をテーマにしたいわき市立美術館が誕生した。
 
 こうして、深く影響を受けた人たちの生き方や考え方を記した本が、ほぼ同時期に息子・娘さんたちの手でこの世に送り出されることになった。彼らの仕事を手伝うことができた、という満足感にひたっている。

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