2015年10月13日火曜日

松田松雄の回顧展(上)

 岩手県立美術館で10月3日から11月29日まで、松田松雄(1937~2001年)の回顧展が開かれている。
 広い企画展示室の入り口から出口へと、松田の作品の変遷がわかるように空間が構成された。展示作品は90点。私が松田を知ったのは昭和46(1971)年で、回顧展にはそれ以前の作品も何点か展示された。
 
 会場に入るとすぐ左に、昭和43年制作の最初期の作品「風景『人』」=写真(図録から)=がある。今回初めて見た。筆遣いは素人っぽい。絵を描く喜びと不安が交錯しているように感じられて、<ここから始まったのか、彼は>とほほえましくなった。
 
 図録の表紙に使われた「風景(山)」も、今回初めて見た。女性の乳房(と私はみてしまう)を見事に造形化している。ユーモラスなものさえ感じられた。
 
 松田と出会い、突然の病気と療養、そして死を迎えるまでの28年余。さらに、今度の回顧展。私のなかでは、松田への認識は変わらない。いや、回顧展を見てかえって深まった、といおうか。昭和57(1982)年、彼が45歳のとき、個展の図録に小論を書いた。自分とは何かという人間存在への根源的な問い、早くに亡くなった母への思いとそれを根底にした母性への畏敬――。

「作品は変貌しても生と死の黙示劇的構造に変わりはない、と私には見える。それは彼が技術を売り物にする画家とは異なり、精神の飢餓のようなものに突き動かされて絵を描き続けるタイプであるからだろう。人間の悲しい闇の部分を提示しながらも、そこに祈りのような聖性が漂っているのはそのためで、これはきっと彼が見た地獄の深さに私達が慰撫されていることを意味する」

 東日本を大津波が襲い、中近東で空爆やテロが発生するたびに、なぜか松田の家族像や群像の作品が思い浮かぶ。いや、凄惨な時代だからこそ、松田の絵が必要とされている。そう思えるほどに、彼の作品は普遍性を内在させている。

 そのことと関係するのかどうか、私には広い企画展示室が、いのちが生まれ育つ原点としての「子宮」のように思われた。松田が無意識的であれ意識的であれ、絵にし、文章にしてきたものの根底には「母性への回帰」がある。具象から抽象へ、意味から記号へと表現のかたちが変わっても、彼のなかにある「存在と聖性」は一貫していた。

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