2015年10月20日火曜日

大活字本

 遠近両用のメガネをかけているが、新聞や本はずっと裸眼で読んできた。ところが最近、いちだんと“花眼”度が進み、日によってはメガネなしでは新聞活字がぼやけるようになった。(こうしてお年寄りは新聞から離れるのかもしれない)
 いわき総合図書館に大活字本コーナーがある。図書館のホームページを開いて間宮林蔵関係の図書を検索したら、吉村昭の『間宮林蔵』(上・中・下)があった。この際、大活字本を読んでみるか――すぐ図書館へ出向いて借りてきた=写真。

 大活字本の『間宮林蔵』は講談社文庫を底本に、2012年、埼玉福祉会が上・中・下の3冊本として発行した。文字の大きさが5ミリ強、つまり16ポイント。1行31字、1ページ11行だ。なにかに似ている、なんだっけかな、そうだ、小学校低学年の教科書だ――。

 書籍は通常9~10ポイント、新聞は縦8.6ポイント・横10.8ポイントの扁平文字だ。普通の書籍は、新聞より早くメガネなしでは読むのが難しくなった。

 おっと、文字の大きさの話ではない。なぜ間宮林蔵か、吉村昭か、だ。吉村昭は徹底した資料の読み込みと現地取材による「事実」の構成に定評がある。そのうえ、歴史書では得られない人間の内面の描写にすぐれている。東日本大震災後、吸い寄せられるように『海の壁 三陸沿岸大津波』と『関東大震災』を読んだ。

 南の台湾は日清戦争、北の樺太(カラフト=現サハリン)の南半分は日露戦争の結果、日本の統治下に入った。それも1945年の敗戦で終わる。

 台湾へは同級生たちと二度行った。また行きたい、そんな気持ちがわく島だ。樺太では、同級生の父親がある村の村長をしていたという。この同級生にとって樺太は、自分が生まれたかもしれない幻の島だ。
 
 今年に入って三回、いわきで学生時代の仲間が集まり、旧交を温めた。そのとき、同級生と樺太に行こうか、という話になった。私の方は、野口雨情と宮沢賢治の足跡を追ってのことだ。
 
 それに、いわきから北海道へ渡り、地元の更科源蔵らと交流した詩人に猪狩満直がいる。彼らが発行した同人誌のひとつが「北緯五十度」だ。北緯50度は樺太の真ん中を横切る。そのラインがロシアと日本の国境になった。更科らにとってそこは「日本の極北」、その誇りを秘めて雑誌のタイトルにしたのだろうか。
 
 それらもろもろの思いが重なって、「間宮海峡」を発見し、樺太が島であることを確認した『間宮林蔵』を読み始めたのだった。(若いときに一度、林蔵の評伝や本人の口述筆記「東韃地方紀行」を読んだ記憶がある)

知り合いの作家乾浩さんの『北夷の海』(新人物往来社)も、図書館から借りた。林蔵と、ともに樺太を探検した松田伝十郎が主役の作品が収められている。こちらは普通の活字本だ。

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