2015年10月22日木曜日

冷静と恐怖の境目

 きのう(10月21日)の午後3時4分ごろ、突然の地響きに足が止まった。海岸までもうすぐという夏井川下流左岸のある事業所で用をすませ、外へ出たばかりだった。
 戸外にいるとあまり揺れは感じない。が、はっきり地の底から鳴動が伝わってきた。海の方からやって来た。最初はキジの母衣(ほろ)うちのようにドドドド、やがて地面も建物もガタガタ揺れた。長く続くかもしれないと身構えたが、地震波は意外と早く街の方へ、山へと向かっていった。

 ――きのうは朝から動き回った。年度の後半・10月が始まり、行政と行政区がらみの小さな仕事がいくつか重なっていた。すべて「締め切り」がある。自分の用事をはさみながら、何件かをまとめて片付けることにした。

 街なかの信組で、区内のアパートを管理している不動産屋さんから振り込まれた区費を下ろしたあと、ある事業所を訪ねて区費協力金のお願いをした。その足で班長名と戸数、行政資料の配布必要数などを記した資料を市役所に届け、すぐ内郷の市保健所へ車を飛ばした。

 保健所に地区保健委員会の負担金を届けると、とんぼ返りで総合図書館へ。ピンポイントで『国見町史』をパラパラめくり、近世文芸関係の8ページをコピーしてから、予約時間に歯科医院で歯の治療を受けた。
 
 帰宅途中、夏井川の堤防(平・塩地内)に出てハクチョウの有無を確かめる。ダイサギたちに交じって2羽のコハクチョウが羽を休めていた。昼食をとり、一休みをしたあとは、区の会計さんと一緒に区内20事業所ほどを回って区費協力金のお願いをする。これがきのうのメーンの仕事だった。――
 
 冒頭の事業所はその一環で、区内にある事務所が改築中のため、間借り中の場所をネットで検索して訪ねたのだった。そこはアグリパークいわきという観光いちご園の一画。追尾型の太陽光発電システム=写真=を備えているので、前から興味を抱いていた場所だ。
 
 3・11のときには、自宅の茶の間にいた。当日のブログによると、午後2時46分ごろ、だんだん揺れが大きくなった。ただごとではない。庭に飛び出して車の屋根に手を置いた。車がぼんぼんとびはね、前後した。二本の足では立っていられなかった。

 揺れていたのは何分だろう。揺れが収まった時点で家に入ると本棚が倒れ、食器が落ちて割れ、テレビが倒れていた。2階の本箱はもっとすごかった。倒れて足の踏み場もなかった。

 ちょうど小学生の下校時間だった。低学年の女の子が隣の駐車場にぺたりと座り込んで泣いていた。石のかけらが頭にぶつかったという男の子がいた。歩道そば、民家の大谷石塀が崩れて歩道をふさいでいた。このかけらが頭に当たったのだという。間一髪、昭和53(1978)年の宮城県沖地震の二の舞にならずによかった、とそのときは安どしたのだが……。
 
 さて家に帰るとすぐ、カミサンが興奮した面持ちで状況を説明した。3・11のときには、いわきは震度6弱だった。大地が波打ち、裂けるかと思った。それに比べたら、きのうの震度4はかわいいものだ。モノが落ちることもなかった。

震度3までは「おや、地震」が、4になると「おっ、地震!」になる。「冷静と恐怖の境目」がこのへんにあるようだ。まだまだ余震は続く。

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