2015年10月29日木曜日

リンドウ開花

「ゲストハウス」(義伯父の家)の庭に、去年(2014年)の秋、カミサンが「ドクターのリンドウ」を移植した。うまく根づき、数日前に花が咲きだした=写真。
 ドクターが亡くなって13年。奥さんが東京の息子さんの家の近くに引っ越して1年。手放した家の庭でもリンドウが咲きだしたことだろう。
 
 いわき市は昭和61(1986)年、「非核平和都市宣言」をした。市民有志が中心になって短期間に何万人もの署名を集め、市と市議会を動かした。政治運動とも市民運動とも無縁だったドクターが署名運動の中軸・事務局長を引き受けた。そのときに知り合った。

 署名運動の原点になったのは、元いわき短大学長の故中柴光泰さんのソネット(14行詩)「つまらないからよせ」。いわきの同人詩誌「詩季」が戦後40年の節目に特集を組み、顧問格・中柴さんが珍しく詩を書いた。

「原爆をつくるよりも/田をつくれ/それとも/詩をつくれ//これが存在するものの一念だ/さきごろ咲き出した水仙も/そう言っていた/日ごろ無口な庭石も/そう言っていた//田にはくらしがある/詩にはいのちがある/しかし原爆には何もない/ただ限りなく/つまらないだけだ」

 東日本大震災を経験してからは、「原爆」も「原発」も同じ、「存在するものの一念」として「くらし」と「いのち」を守れ、という思いが強くなった。それがまた「非核平和都市宣言」をしたいわき市の精神にもかなうのだと。

 たびたびドクターの家にお邪魔した。シャプラニール=市民による海外協力の会の活動に理解を示し、哲学者内山節さんにも興味を抱いて多くの著作を読んだ。若い人間から学ぶこころを持っていた。
 
 ドクターが亡くなったあとは、奥さんからときどき、本や衣類を整理したからと、電話が入った。3・11前はバングラデシュの子どもたちのために、3・11後はプラス被災者・原発避難者のために換金・リサイクルを重ねた。

 ドクターの家の庭には秋になるとリンドウが咲き誇った。ドクターが亡くなったのは11月15日、「七五三」の日だ。それで、必ずその日にドクターを思い出し、リンドウを思い出すので、私は勝手にドクターの命日を「竜胆(りんどう)忌」と決めている。

「もう家を空ける」という去年の秋、カミサンが庭からリンドウを掘り取り、義伯父の家の庭に移植した。なかなか根づかないと聞いていたが、無事に「いのち」をつないだ。きのう(10月28日)は夏を思わせる暑さだった。さらにリンドウがほころんだことだろう。

 話は変わる。昨夜、「非核平和都市宣言」運動にもかかわった友人から電話が入った。平高専(現福島高専)寮で同じ部屋だったN君(元県会議員)が亡くなった、という。腹にメスを入れたことは本人から聞いていた。出会って52年。カミサン同士が親戚のため、姻戚関係になったことも重なって、多少複雑なつきあいをしてきた。今はただただ合掌。

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