2015年10月6日火曜日

コウノトリは山梨へ

 千葉県野田市で放鳥されたコウノトリ3羽のうち、1羽がいわき市へ現れた。と思ったら、もう山梨県上野原市へ移動した。
 3羽にはGPS(衛星利用測位システム)の発信器が装着されている。9月22日にいわきで撮影されたメスの「未来(みき)ちゃん」の写真がフェイスブックにアップされた。いわきの「鳥見人(トリミニスト)」にとって、コウノトリ飛来は大事件だ。

 野田市のホームページで移動経路を確認した。7月23日、放鳥。そのあと、足利市(群馬県)付近で過ごし、8月10日現在で猪苗代湖北部(福島県)に。翌11日現在で白石市(宮城県)にいて、名取市を経て月遅れ盆から1カ月余は仙台市付近にとどまっていた。9月24日~10月2日現在ではいわき市に滞留し、きのう(10月5日)現在では上野原市にいる。
 
「未来ちゃん」が撮影された場所は、夏井川下流のわが家の対岸、平・菅波地区だ。10月3、4日と、小名浜港アクアマリンパークへ往復した。車にはいつも使っているカメラのほかに、望遠レンズ付きのカメラを積んだ。途中、電柱や高木の先端を気にしながら車を走らせた。

 江戸時代、徳川吉宗の治下、享保・元文期に全国で生物相調査が行われた。博物学者の丹羽正伯(1691~1756年)が企画し、幕府が諸藩に通達した。今風にいえば、大正9(1920)年に初めて行われた国勢調査より200年、現在よりは300年近く前に初めて日本列島の「いきもの国勢調査」が行われた、というところだろう。

 昭和62(1987)年、安田健『江戸諸国産物帳――丹羽正伯の人と仕事』(晶文社)が発行された=写真。翌年1月には、産物帳を基本文献に、環境庁(現環境省)が江戸時代の「全国鳥獣分布図」をまとめ、発表した。記事の切り抜きが安田本にはさまっていた。コウノトリ飛来に刺激されて、本と切り抜きを読み返した。

 明治以後、絶滅したいきものにオオカミやカワウソ、トキなどがいる。ところが、江戸時代はまだまだ生物相が豊かだった。

 トキは古くから蝦夷(北海道)、陸奥・出羽(東北)といった東北日本に多かった。コウノトリは全国に生息し、カワウソは蝦夷・佐渡・伊豆七島などを除いてほぼ全国に、同じくオオカミも島々を除く本土に生息していた。

 福島県内の産物帳としては、阿武隈高地の三春藩領「草木鳥獣諸色集書」が残っている。それによると、領内にトキやカワウソがいた。むろん、オオカミも。磐城平藩その他も同様だとしたら、放鳥コウノトリとはいえ、いわきの空に100年ぶり、200年ぶり、という時間単位で大型鳥が姿を見せたことにならないか。

 20世紀は環境破壊の世紀だった。21世紀は環境回復の世紀にしないといけない――大きな流れでいえばそうなる。トキやコウノトリがいるマチになれば、少しは自然環境が回復した証しになる。その意味では、「未来ちゃん」にずっととどまってほしかったのだが(写真を撮りたかった)。

 上野原市をグーグルアースで見たら、神奈川県の北西端、相模原市藤野町に隣接していた。藤野には自然に囲まれた中で持続可能なライフスタイルを模索しているコミュニティ(トランジション藤野)がある。震災後知り合ったご夫妻が少し前、そこへ移住した。Nさん、見上げる空に放鳥コウノトリが飛んでいるかもしれませんよ。

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